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キッシンジャーとブレジンスキーの世界観そして米国の凋落

第二次世界大戦後の米国は、経済力と軍事力を背景に「パックス・アメリカーナ」を作り出した。
しかし1970年代のベトナム戦争から抜け出るために、ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官は秘密交渉で中国と和解し、ソ連ともデタント(緊張緩和)によって米国主導の世界平和を作り出した。

ニクソン大統領は「ウォーターゲート事件」で失脚。
1977年には共和党に代わり民主党のカーター大統領が誕生した。
その補佐官になったのがブレジンスキーである。

キッシンジャーとブレジンスキー。
この2人の補佐官によって米国の戦略は大きく別れた。

まずはキッシンジャーの世界観から紹介する。
彼は徹底したリアリストである。
イデオロギーや正義を主張するよりも現実を重視し、力の均衡による世界の安定化に努めた。

米国と対する他国とは巧なディール(取引)や交渉などで、米国に利益をもたらすようにしていた。

私達が考えるいかに自国の利益になるように互いにもっていくのかという外交の王道を行うのがキッシンジャーと言えるだろう。

ニクソン政権ではベトナム戦争による財政悪化を防ぐために、金とドルの交換を停止する「ニクソン・ショック」を実行。
その後の中ソの対立関係を見るに米国と中国の和解を行い。
北ベトナムの戦力を下げさせて、ベトナム戦争の終結を引き出した。
ソ連とも核兵器制限交渉を行いデタントを実現。

1973年の第4次中東戦争では石油危機が世界を襲う。
イスラエルよりの姿勢を強め、サウジアラビアとの関係を強化。
サウード家との交渉で石油の決済を全て米ドルで行う「ペトロダラー体制」を確立した。
ニクソン・ショックによるドルの信用性の低下を回復し、世界の基軸通貨に返り咲いた。

米国の世界支配秩序を作ったのはキッシンジャーだと言っても良い。
それだけ彼の功績は大きいものである。

次はブレジンスキーを紹介する。
彼の理念はネオコン(新保守主義)である。
自由主義や民主主義を重視して、米国の国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想である。

キッシンジャーとは対をなしているといえる。

ブレジンスキーの功績は、ソ連と同盟関係を結んでいたアフガニスタン政府を打倒するために、ムジャヒディンと呼ばれるイスラム戦士をCIAが訓練して、反乱を起こさせ、軍事支援に出兵したソ連軍の足止めをさせた。
それがゴルバチョフによる政治改革の端緒となり、ソ連は崩壊した。
ソ連崩壊により、冷戦体制は終了。
米国による一強体制となった。

カーター政権後も力を持ち続け、CSISの顧問として「チェチェンに平和をアメリカ委員会」の共同代表を務めた。

クリントン政権時には国民皆保険制度の導入で民主党が惨敗。
米国は今まで第三次世界大戦を避けるため「NATOの東方拡大」を認めていなかったが、それを方針転換させるようにブレジンスキーはアドバイスした。
そのことでポーランド移民の2千万票を獲得でき、ポーランドのNATO加盟をクリントン政権に打ち出させた。

ブッシュJr政権ではネオコンを強め「テロとの戦い」を宣言。
当時のロシアのプーチン政権は米国とのテロとの戦いに協力していた。
旧ソ連内に米軍基地を作ることを認め、ロシアもNATO準加盟国として、先進国で作るG7にも加盟し、G8を構成していた。
しかしロシアを包囲するようにNATOの東方拡大を進行することで、危機感を覚えたプーチンは自国の安全保障を優先するようになる。

そして2014年。ウクライナ。
マイダン革命による親ロ政権の打倒は、ロシア側からするとアフガニスタンでのムジャヒディンによるソ連解体の手法と似ている。
これにロシア側は反撃してクリミア半島を制圧。
その後米英の軍事顧問団が入り込み、クリミア奪還訓練を始めた。
そしてゼレンスキーはクリミア奪還の指令を出す。
22年2月にロシア軍による軍事侵攻。
この米国の手法はクリントン政権時と同じで、バイデン政権も敵と味方に分けることで米国民の指示拡大を狙っているといえる。

キッシンジャーはダボス会議でこのウクライナ戦争に対して何と言っていたのか振り返ってもらいたい。
「ウクライナが領土の一部をロシアに渡しても戦争をやめるべき」と発言した。
これはリアリストの彼の目線からだとこうなる。
しかしブレジンスキーの目線だと民主主義の正義のために突き進むしかない。

ウクライナ戦争を次の大統領選の目玉にできなくなったバイデンは中東に目を向けてイスラエルとサウジアラビアの国交正常化を画策した。
バイデンは22年7月13日〜16日にイスラエルとサウジアラビアを訪問。
しかし10月7日、ハマスによるガザのテロがその計画を破壊した。
サウジアラビアがイスラエルと手を組む可能性はなくなってしまった。

トランプ政権の今までの動きを見ると米国主導の1極支配を辞め、世界を多極構造にしながら、同盟国にも厳しい姿勢を見せたのはベトナム戦争を終わらせたキッシンジャーの戦略に似ている。

現在ハリス大統領になり、ブレジンスキーの流れのままでは、ウクライナ戦争、中東でのイスラエルとイランの歴史的合意を成し遂げることは難しい。

米国の大統領選挙も
トランプVSハリスで見るよりも
キッシンジャーVSブレジンスキーという戦略的視点で見ると、
今後の米国の戦略がより理解できるだろう。

米国の近代史をこの2人の戦略家からの視点で考察すると、新たに見えてくるものがあるのではないかと思う。

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