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NO.7 緊張の初出荷。


問題が問題視しなくなった。



5月のGW明けに放牧豚が始まって、あっという間に1ヶ月・2ヶ月と過ぎていく中で様々な問題は起き続けていたが、少しタフになってきてるのも実感していた。
熊問題、水問題、飼料問題、脱走問題。笑

猟友会の方が見回りに来ていたのですが、その方があの奥のネットの下から脱走していますよ!
いつも餌をあげる時間帯からゆっくりと見ている時間は多かったですが普段人のいない時間帯も多かったために自由気ままに脱走していたようだ。
餌の時間になったら戻ってきているみたいで、脱走して様々な知見を得ていたようだ。

早速、
電柵で対策して、そこからは抜け出せなくなった。
少し楽しみが減ったようにも放牧豚たちには
見えた。

出荷スタート(10月〜)

10月から初めての出荷がスタート!
大きい子からスプレーで印をつけて出荷していこう。出荷台も友達の手を借りて豚一頭分のスペースの通路を作って軽トラの荷台まで通路を作った。

頭のイメージ的に完璧だったが、実際に出荷となると話は全然違った。笑
広い牧場が功を奏して、二人で豚を追い込んでもこちらの殺気に気づいてか逃げ回る。しかも早い。豚が遅いと思っている方も多いと思いますが、100キロ超えた豚たちも人間よりもすばしっこく早い。

ずっと振り回されて、最終的には餌大作戦がピッタリきた。
通路に食べ慣れた製麺所の麺を少しずつ置いていくと食べながら夢中に登ってきた。笑
ある意味単純だ。

しかしながら最後の荷台への一歩がなかなか重たい。
行かせようと推すも、100キロの体型はびくともしない。なんなら後ろに戻ってくる。

そんなしどろもどろをしながら、やっと荷台に載せるそんな作業が出荷時期には毎週行われた。結構な体力勝負だった。


ここに餌を数日かけて置くと
食べにくるこの黒いパレットで塞ぎ込み一方通行にする


豚一頭分の通路を作る。
杭が本当に役立った。


軽トラの高さとビッタリ。
バックしてここに荷台を合わせる



近所の先輩から頂いた”枕木”が大活躍


順調ではない、出荷が進むと塊肉としての引き受けに日々通った。
そして、公社(屠殺場)の方々にも少数の三頭や二頭の引き受けを毎週してもらえたことは本当にありがたかった。
僕らの出荷の横では、100頭単位での出荷が進んでいる。そんな中、少数なのに受け入れてもらえて心からホッとした。

屠殺後に翌日内臓肉、翌々日に肉を取りに行って、加工場で加工する。
出荷と商品製造、飲食店への出荷は結構なハードワークだった。

加工場があるから
放牧豚をはじめたのに両方ともに自身でやる事に少し限界を感じた。

朝に豚肉を引き取りに行き、昼から餌を取りに行き、そのまま夕方に餌をあげ、シャワーを入ってから加工場へ向かう日々だった。
全部をこなすのはこんなにも大変なのか?と思った。

だからこそ、うちのお肉は!なんて説明ができた。
全て自身の手が加わっているのはなんとも言えない満足感と充実感があった。

しゃぶしゃぶ、ブロック、豚丼、全てを食べようと加工からの真空、加工場の方にも協力してもらいなんとかできた。

また今年も始まるなー。
と冬の間を過ごしている。

NO8に続く

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