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資産を増やすなら、やっぱり最強!「稼ぐ力」をつけよう
連日お金のお話を書いています。
40歳近くまで、お金に関しては楽天的に生きてきました。
特に贅沢していたわけではありません。
結婚が遅かったですが、ブランド品を買ったり
海外旅行にハマったりはしていませんでした。
若いころに私に足りていなかったのは、「稼ぐ力」だったと思います。
ある技術職に就いてはいましたが、小さい会社を転々として
ずっと非正規労働者でした。
今思えば、技術を安売りしていた感じは拭えません。
自信が無いのも、いいかげんにしないと
私の性格のせいなのか、自分に自信が無さすぎて
いつも悩みながら仕事をしてきました。
もう、かれこれ30年ほど同じ職種でやってきてますが、いまだに自信が無くて、我ながら呆れます。
なので、非正規労働者という立場でも、文句も言わず働いてきたのです
ですが、出産後にそのしわ寄せがきたのでした
私が1人目を出産すると、雇用主は容赦なく私を解雇しました
それでも呑気に
「技術があるから、子供を保育園に預けられるようになったら、又仕事を探せばいいね」
と、お気楽にしていたら、二人目を出産。
下の子を出産後、元働いていた会社へ顔を出しに行きました
あわよくば、又働かせてもらおうという下心からです
でも、その時言われたのが
「下の子が小学生くらいになったら、戻ってきたら?」と笑顔で社長
「うそでしょ、あと7年も働けないの?」と私は心の中で叫びました。
そうか、小さい子供を抱えた従業員は会社のお荷物なんだ・・・
とその時、やっと悟りました。
大きい会社や公務員のように、産休、育休なんて無縁の世界でした。
見返してやる!
その後、私はまだ赤ん坊の次男の寝顔を見ながら考えていました
この子をどうやって育てていけば・・・
夫もいますよ、でも彼の稼ぎだけでは到底満足な教育費を捻出できない収入でした。
そこで一念発起したのです。
「少しでも高収入の仕事をゲットしなければ!」
ということで、私の奮闘が始まるのでした。
とにかく、非正規労働者からの脱却をしないといけません。
私は行動を始めました。
とにかく行動!
子供のためにと奮起して、まずは知り合いに相談しました。
「ある程度、大きな会社か、役所関係をあたってみたら?」
とのアドバイスをいただいたので、一通り調べてみました。
でも・・・役所などの、公務員関係は当時年齢制限が設けられていて無理でした。
大手の会社にいたっては基本、新卒採用がまだ主流の時代でした。
子持ちでも、より良い待遇で採用してくれる会社なんて、無いんじゃないか
と途方に暮れていた頃
昔一緒に仕事をした事のある先輩から連絡が入りました
「とても良い会社が人を探しているよ。履歴書だけでも送ってみたら」
喜びもつかの間、その会社はなんと外資系でした。
どうにもならなかった
ほどなくして、その先輩が履歴書のフォームを送ってくれました
勿論、全部英語
しかも、経歴書も作成してほしいとのこと
いまでこそ、グーグル翻訳など、優秀なツールがありますが
まだその頃は、やっとネットの辞書があるくらい
必死こいて、履歴書と経歴書を作成して提出するところまでこぎつけました
そしてなんと、面接に呼ばれたのです。
そしてドキドキの当日
呼ばれた部屋に入りました。
面接担当は、外国人
言葉はもちろん100%英語
最初の挨拶以外、彼が何を言っているのか、さっぱりわからない
それどころか、青い目にドギマギして心の中はパニックでした
そして、結果は勿論、採用には至りませんでした。
でも、その時お会いした秘書の日本人女性が
「あなたは技術があるから、英語さえできれば、採用の可能性は高いですよ。又求人を出す予定がありますので、頑張ってみたら」
と帰り際に優しく声をかけてくれたのです。
四十の手習い
次男を生んだ当時、私は40歳でした。
そこから英会話を必死こいてやりました。藁をもすがる気持ちだったのです。
英会話教室に行くお金や暇もないので、
NHKのラジオ講座、これを毎日
しかも、英語講座だけでも何種類もあるので、とにかく全部聞きまくっていました。
凄いですよ、日本って
学ぼうと思えば、お金をかけずに学べる
ラジオ講座なので、家事をしながら聴ける
しかも、再放送もあります
テキスト代は、ほんの数百円だけでした
やっとゲット!!!
そんな、英語漬けの日々を送っていました。
あの悪夢の面接から1年ほど経過した頃、1通の封書が届きました
去年受けた会社から、又求人を出しているので、面接に来ませんか?というオファーでした!
早速、書類を送付して、リベンジの面接を受けました。
問題の英語ですが・・・
何となく何を言っているのか、うっすら理解できるようになっていたのです。
でも、本当に少しだけでしたけど。
しかも、こちらから簡単な単語を使って、言いたい事も何とか伝えられました。
自己アピールのフレーズは暗記していたので、それも何とか言えました。
そして、何とか採用をしていただきました!
どんな努力でもするべき!
文章にすると、短いですが
今の仕事をゲットするまでは、本当に長い道のりでした
しかも、その努力が実を結ぶかどうかなんて、誰も知りません
子供を出産後に外資系の仕事を得るために英語を勉強するなんて、
狂気の沙汰だと
夫の母に嫌味を言われたのは、今でも覚えています
だけど、控えめに言っても、わが家の運命が変わりました。
私が今の仕事を得られなければ、自宅建築もできなかったですし
何より、二人の子供たちの塾などのお金も払う事ができませんでした。
長男も、学資ローンを借りて進学していたでしょう。
泣き言を言いながら暮らすくらいなら、どんな努力もしてみるべきだと思います。