カウンセリング日記 Day3

初回カウンセリングから48日。
2回目から18日後、3回目のカウンセリングを受けました。

この間は特に大きな問題もなく過ごせました。

相変わらず大浴場にいっても落ち着いてるし、近所の人にも挨拶できるし。
意外と早くカウンセリングが終わるんじゃないか?とかなり楽観視していたころです。

そんな話をしながらも、未解決な人生のしこりはたくさんある感覚だけがありました。

この日は思い出したことを話していく日でした。
なかでも特に嫌な記憶として残っているのは、中学生のときに女子からいじめにあったことでした。

きっかけは些細なことでした。

休み時間に私と後ろの席の男性の友人で話していました。

彼がイヤらしい話題を話したので「スケベ」と返したところ、隣にいた女子がなぜか自分のことを言われたと勘違いしたようです。
突然泣き始めて教室の外に出ていったことを覚えています。

休み時間が終わり、その女性が幾人かの女子生徒を引き連れて戻ってきたときの空気感の変わり方は、いまでも思い出すだけでゾッとします。

それから、ほぼクラス全員の女子から言葉のいじめを受けるということがありました。
とてもじゃないけど書けない差別や偏見に満ちた言葉を投げかけられ続けました。

そのため高校生に入るときには「絶対に女性と口をきかない」と硬く誓って、事務的な会話以外、高校生のときは女性と話さなかったです。

後日、高校の同窓会で女性と話したら「あなたって、話せるんだ!」と驚かれました。

さて、この経験から私が培った信念がいくつかありました。

  • 勝手に他人が作った像と私の本来の姿が違うからといって、攻撃しないでほしい

  • 攻撃の現況が他者からの勝手な期待なので、人を遠ざける

  • 人を遠ざけるために壁を作る

  • その決断は、自分がしたんだから、絶対に破らない

たった一回の経験とはいえ、かなり衝撃的なことでした。

ただその一方で「一回の経験で、ここまで硬い信念が作られるだろうか?」というのがカウンセラーさんからの問いでした。

それで思い返してみました。
するとわかってきました。
この振る舞いは、母と同じだったのです。

彼女は自分で決めた軸にそぐわないと、相手との関係をシャットダウンする人でした。たとえそれが自分の子供でも。

母のことが、母の振る舞いがとっても嫌いだったのに、私自身が母と同じ振る舞いを外界に対して行っていたことを知りました。

とってもショックでした。

このときカウンセラーさんは、私のこの極端な物の考え方に対して「いいおっぱい、悪いおっぱい」という心理学のお話しをしてくれました。

赤ちゃんにとって母乳をくれるおっぱいはいいおっぱい、でも自分がほしいときにくれないおっぱいは、悪いおっぱい。
両方とも同じ人が差し出してくれているのに、その認識が分断されてしまって、悪いおっぱいのほうにしか目が向かない。

人は成長の過程で、いいも悪いも統合して一つの対象として見られるようになるもの。
だけど、私の場合は、悪い方ばかりに目がいってしまって、自分にとって的だと認定すると極端に遠ざける、と。

このときのカウンセリングメモをみると「つながりは鎖」「だから人とつながることは自分の動きが重くなる」と書いています。

つながることは、裏切られる=悪いおっぱいに遭遇するおそれがあったのですね。

カウンセリング後のメモを見ると「わたしは、ずっと悲しかったんだ」と一言書いてあります。

カウンセラーさんからはもう一つ言葉をいただきました。

清濁併せ呑むという言葉があるように、人間は人生を積み重ねれば、清いところも濁っているところもあるものです。

すべてが美しいなんて人は現実的に存在しない。

なにか他者が嫌なことをしたときに、一方的に否定することはできるでしょうか?そんな一面が自分には絶対にないといえるでしょうか?

だから、自分の清濁を併せ呑むことで、他者の清濁も認めることができて、それが赦すということになっていくのだと思います。

すべてが美しいなんて人は現実的に存在しない。

私はどこか矛盾している人間を嫌っていました。
嫌うというか恐れていたんだと思います。
矛盾を抱えて生きているなんて、振り回されるだけだし、とか。

だけど自分が完全に矛盾のない生き物ではありません。

体型を維持したいと思っていても、お酒やご飯を食べすぎてしまったり、早く寝ないとと思っても本やテレビを遅くまでみたり。

そんな自分すら認めること、受け入れることができなかったから、それを他者に投影して「お前なんか!」と遠ざけていたのだと思います。

他者を遠ざけているようで、実は自分で自分を遠ざけていたんだと、いまになるとよくわかります。

自分が自分を受け入れないのは、本当にきつい。

受け入れられないことに気づいていないときは、感覚が麻痺しているからまだましかもしれない。

だけど、カウンセリングを受け、自分と向き合い始め、自分の感情や思考に敏感になると、自己受容できていないことが、自分の蝕み具合を露わにするので、キツさが増します。

この日は、そんなことを無意識のうちに思っていたと思います。
その一方で、あまりにも順調に自己開示が進んでいくので、あと数ヶ月でカウンセリングも終わるのだろう、と思っていた時期でもありました。

でもそんな幸せな感覚の日々は、もうすぐ終わりを告げます。

いいなと思ったら応援しよう!