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それが感情ではなく症状だとしたら(『next to normal』初見の感想)

※2回目の観劇前に、初見の感想や「もしかしてこういうこと…?」って思ったことを残しておきたかった、という目的が強めの長文です。だから内容や解釈の間違いはあると思う。

好きなミュージカル『天使にラブ・ソングを〜シスター・アクト〜』の中に『私が生きてこなかった人生』という曲がある。新米シスターであるメアリーロバートが、自分の命を狙うギャングから身を隠すために教会に匿われて最初は異色の存在として加わるけど最後には皆の中心人物となる歌手のデロリスに感化されて歌う曲だ。この曲のタイトルを借りちゃうけど、私がミュージカルを好きで見続けたい理由がそこに詰まっていて、自分が経験してこなかったことを演技を通して経験し、歌を通じて感情を知り、ダンスを通じて魅せられていく。

でも今回観劇した、前回の上演を観られなかった私にとっての初見の『next to normal』は本当に衝撃で、よくこのテーマをミュージカル化しようとしたなという感心だけでなく、逆に病について考えるきっかけにもなった。好きな俳優さんの姿を通してその病を知ることはある意味とてもショックで、望海風斗さんが演じるダイアナが机にパンを並べ、気づいたら椅子へ、床へ、とパンを並べ続け、シアタークリエの壁を壊しそうなほどの音圧で歌声を轟かせるキャスト達が歌う家族の重唱の中、ひとりだけ歌も動きも止まらない、止められない、制御できない状況に出会して、この作品を相当覚悟を決めて観なければならないものと理解した。床と仲良くする望海さんは雪組の『ファントム』以降大好物だけど、確か「サンドイッチ作ってるの、床で」っていうセリフと共に床でパンを並べる状況は悲しさすらあった。

前回の上演を見逃した後に望海さんのFCに入ったので、しばらく再演されないと当時は思ってたこの演目がどんな内容だったのかを知りたくてネタバレまで読んだことがあったのでゲイブがダイアナにしか見えない想像上の存在だということは存じていて、これが最大のネタバレなんだろうと知ったつもりで観劇したけど、それが客席に明るみになるシーンも、有名なナンバーのI'm Aliveも、望海さんが読売演劇大賞授賞式や自身のコンサートでも歌ってくださったI Miss The Mountainsも、結構序盤で、それ以降にも何度もドラマがあったので、当初予想していた結末と全然違った。I Miss The Mountainsも、まさかゲイブに促されながら次から次へと薬の錠剤をバケツに流しこむ曲だとは思わなかった。治療の中で自殺未遂を起こしたり、最後はそれぞれの選択をしたり、病を扱う作品だから色々な葛藤や展開もあるし、何より1番心に残ってるのはダイアナの病がもたらした家族への影響かな。

「next to normal」=「普通のとなり」だと劇中でも歌われるけど、普通って何だろう。他人の芝生は青く見えるという言葉があるように、他者や他人の家を羨んだりするけど、そういう感情で左右されるものではなく、確固とした病があって、それに本人も家族も蝕まれているのがグッドマン家というのがしんどいな。書きながら思ったけど、この作品ならではのロックな楽曲に乗せたダイアナ達の振り切れた表現って、感情じゃなくて、症状。れっきとした病だ。2幕冒頭のECTの治療が始まる時に稲妻のような照明とともにダイアナが飛び出してきて歌い上げる曲がめちゃくちゃかっこよかったのだけど、あの辺りから病と感情の境界線があやふやになっていたかもしれない。

当日は友人が当ててくれた前方席でオペラ入らずの観劇で、だからこそしんどさも何倍にも感じるところがあったのかもしれないけど、オペラグラスを通さない熱量というか、それを初見で感じることができたのは光栄で、でもラストシーンで光が差し込む時にキャストの皆さんの表情がオペラ無しでしっかり見えた時の、どこにでも起こりうるこの物語を一緒に駆け抜けた達成感のようなものもあって胸一杯になってしまった。あと、ゲイブのバースデーケーキをダイアナが持ってくるシーンで蝋燭の匂いが漂ってきたのも、前方席ならではの臨場感をひたすらに浴びた経験だった。

シンプルなセットだけど、物の配置を考えると面白そう。センターにダイニングテーブル、少し下手側にワゴン、そして階段を上ってたどり着く一段高い位置にダイアナの薬が入った棚。あと衣装。赤と紫と青の色が持つ意味はきっとどこかに書かれてるとは思うんだけど、もしかしてこういうこと…?と思ったことを書いてみる。最後にダンとゲイブが赤、ダイアナとナタリーとヘンリーが紫、そしてドクター・マッデンは黒い衣装にネクタイだけ紫。このグラデーションは、紫が「“普通”の隣」、黒が「グッドマン家が考える“普通”」、赤は「グッドマン家が考える“普通”とは離れてる状態。これまでのダイアナが抱えていた病(序盤のダイアナの赤いワンピース姿が悲しいくらい美しかった)がダンに移った状態。」
ゲイブが頻繁に衣装の色を変えてたと思うので、ラストシーンでそれぞれの道を歩むことになった家族達が纏う色を踏まえて、頭から観劇したい。Tシャツ姿の多いゲイブが唯一正装で登場しダイアナをエスコートするシーンはダイアナの自殺未遂の予兆だったから、ゲイブの正装の白は死の色なのかもしれない。

ゲイブは幼い頃に亡くなってるから、ティーンエイジャーの姿のゲイブはダイアナとダンの間では想像上の人物でしかないけど、ゲイブがダイアナの心や家族をかき乱すような描写にされていたその裏には、想像上のゲイブが自分の存在証明を求めていたのかもしれない、誰も彼のことを口に出して懐かしんだり愛おしんだりしてくれない、ゲイブなりの抵抗だったのかもしれないな。I'm Aliveも、自分の存在を忘れないで欲しいという承認を求める曲だったのかな。

渡辺大輔さんが出演された家族モノの演目だと個人的に印象深いのが3年前の『ウェイトレス』で、当時はヒロインに暴力を振るう夫役だったので、今回徹底してダイアナへの優しさを貫くダンに絆されてしまった。優しさゆえに思い出に蓋をしたり、優しさゆえに今度は自分が蝕まれたり、優しさだけが正義じゃないのかもしれないということも考えさせられた。ダンもゲイブのことをダイアナと同じ時期から見えていたのかな、それともダンも病気に蝕まれていく中で徐々に見えるようになったのかな。

中河内雅貴さんは最初のあの瓶底めがねとマッシュルームカットをラストシーンまで貫くのかと思いきや2役だったんですね。もはやドクター・マッデンの手によってグッドマン家の行く末が決まるような役どころではあったけど、ロックスターの激しい一面もありつつこの物語の理性を担ってくれていた。ロックスターの場面で椅子くるくるして手のポーズ🤟決めるダイアナ可愛かったな。。

ナタリーとヘンリーについては言及できるほどまだ深くこの物語に沈めてないのでもう少し観劇重ねてから書きたいな。小向なるさんと吉高志音さん、声を話した瞬間に世界が広がる歌唱力の持ち主だし、ヘンリーの底抜けの優しさがダンと被り、ナタリーとダイアナのセリフがシンクロする瞬間もあり、ナタリーとヘンリーはダイアナとダンの過去の姿を重ねるような役割もあったりする…?

そして望海さん。宝塚在団中も退団後も色々なお役に出会い、その役に息を吹き込み、沢山の人生を生きてくださったけど、ダイアナが真骨頂というか、この役に出会うために今までの役があったのかもしれないとファンながらに思ってしまうほど、本当に心持っていかれた。望海さんが見せてくれる感情表現が大好きで、ムーランルージュのサティーンを経て私はもう沼から這い上がれなくなったけど、ダイアナは感情だけじゃ語れない、どうにもならない病の中で生きてるんだ。病に冒されている状態としてはサティーンと被る部分もあるけど、自分の気持ちを制御できないダイアナの状態を、フィクションとして表現することはどれほどのハードルがあったんだろうなと考えてしまう。そして、そういう役を演じられる望海さんの技量が素晴らしいという点に感動する時期はとっくに過ぎてて、それを病だと、それを症状だと、そしてそれらと向き合って光が差し込む方へと進むんだと、葛藤や行動に説得力を持たせてくれるのが本当にもう、言葉を尽くしてもこの素晴らしさを語れないけど、望海さんが舞台に立ってくれる時代に生きられてよかったなということに尽きる。ただ、インスタやサウンドイマジンで、ダイアナの役を解いた望海さんの様子を知れると本当に安心してしまうほど、圧巻の舞台姿なので、初見の日の終演後挨拶で望海さんが仰った「私達はこの通り元気でやってますので!」に救われたところがある。

そういえば幕開き、望海さんと甲斐くんのシーンで始まるから、のぞかいだ!ってまだまだムーランルージュの余韻が冷めない私は滾ってしまったけど、親子と恋人を繰り返しながら共演経験を重ねていく二人がまた別の作品を見せてくれるって凄い強い縁だなと改めて思ったし、甲斐くんの飛躍が止まらないね!前回上演時と今回の舞台写真を見比べると明らかになる、甲斐くんの身体付きや望海さんの髪の長さの違いが、n2n→MR!→イザボー→MR!→n2nと重ねてきた月日を更に愛おしくさせてくれるんだ。

クリスマスツリーに飾られたクリエちゃんが可愛すぎたのですが、プラみに忠誠を誓っている望海さんもきっとクリエちゃんのことも好きそう。望海さんもそんなことありますか?笑 おわり!

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