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『桜の園』初見の感想 天海祐希さんのラネーフスカヤ夫人と井上芳雄さんのトロフィーモフを中心に

ついに!観劇できました!

上演決定の情報解禁から早3ヶ月、この夢の共演は本当だよね?嘘じゃないよね?と信じられないような気持ちで開幕を迎え、ついに全貌を知ることができたので、my初日の感想を書きます。作品そのものの感想と、愛してやまない天海祐希さんのラネーフスカヤ夫人と井上芳雄さんのトロフィーモフ(ペーチャ)を中心に。

⚠️ネタバレあります!

喜劇か、悲劇か?(作品の感想)

ロシア文学、沢山の登場人物、しかもお名前の他に愛称まで作中で呼ばれ、そして喜劇か悲劇か?そんなテーマまであると来たら、まだまだストプレには慣れない私はついていけるのか……?不安だったけど、全然大丈夫でした。というか、構えすぎていたからかもしれないけど、全貌がわかりやすい非常に親切設計な作品だと個人的には思った。1回じゃ理解しきれない作品に出会うこともあるので、これがケラリーノ・サンドロヴィッチさんが手がけられる演出の妙なのかな。勿論、1回だけじゃなく、何回も観て色々な仕組みに気づくような作品も私は好きだし、時に好きな作品や、好きなキャストの出演作品は何度でも観たいです、強欲なので……

登場人物全員を愛さずにはいられないような温かい描き方だけでなく、セットや照明にもすごく心惹かれ、ワクワクした。特に第3幕の屋敷のダンスパーティの最中にラネーフスカヤが競売の結果を待つ、パーティの喧騒とは一線を画した部屋の中や、第4幕のラネーフスカヤが桜の園を去るシーンの美しさ。

桜の園は喜劇か?悲劇か?という問いがあるとプログラムの中で何度も拝見した。私は大元のチェーホフの戯曲も読まず、他のカンパニーの座組の公演も観たことがなかったので比較対象がないけど、圧倒的に喜劇だと思った。喜怒哀楽で言うと楽しかったシーンが多かったからかもしれない。確かに、トロフィーモフが語るように、そして現実としてお金がなく路上で小銭をせびるような労働者も登場するように、社会全体として明るくなかっただろうし、ロパーヒンのように出自や身分にコンプレックスを抱く時代背景だったのだろうし、最後はラネーフスカヤ自身も桜の園から去らなければならなくなる。でも、ラネーフスカヤ達がお金が無くて困窮する真の状態や、彼女の息子の死に様、彼女を追ってパリにまでついてきた酷い男の具体的な人物像、そして桜の園の競売シーンなど、辛く、そして劇的な描写が作中で登場せずに、登場人物の語り口だけでその様子を理解させてくれるからこそ、悲劇の生々しさではなく、登場人物全員を愛さずにはいられないような描写の方にフォーカスされたので、私は喜劇だと感じたんだと思う。

ラネーフスカヤ夫人/天海祐希さん

まず最初に、大優勝のビジュアルを貼らせてください。こんな天海祐希見たかったぞスペシャルすぎる……ファッションショー……そして佇まいと表情管理……言葉に尽くせないほど本当に素敵だった。大好きなんです、ずっと憧れなんです、天海祐希さん。

誰もが主役のような、全員にスポットライトが当たる演目だけど、やはり登場の瞬間に客席がハッと息を呑まざるを得ないような、劇場中の空気と視線を心を攫っていってしまうこの作品の真の主役。天性の美貌も神がかったスタイルも、「お金持ちの未亡人」を物語るような衣装も相まって圧倒的な華やかさがあり、0番に立つ天海さんの求心力を圧倒的に浴びた作品だった。
全体の演技力が高い座組だからこそ、他の登場人物が泥臭くも軽やかにその時代を生きている中でラネーフスカヤの浮世離れしたような感性が良い意味で異物だった。ラネーフスカヤ以外の人物が皆「こうしたい」「こうありたい」「この人に惹かれている」という希望や欲望を明確に示し、そして等身大の姿で足掻いているからこそ、いつまでも優雅であり続けるラネーフスカヤの本心が見えないまま時間だけは過ぎ、彼女の所持金も底をつきかけ、桜の園が競売にかけられる日もあっという間にやってくる。現実から目を背けているというよりも、結局、現状から変わりたくないだけ、変化そのものを恐れていたのかな。

「私、バカだから」という言葉はラネーフスカヤの本心なのか、言い訳なのか、そうやって道化にならないと生きていけないのか、「心が空っぽな状態」であることこそを鎧と武器にして生きていたのか、本当に何も考えられない状態だったのか。正解はわからないけど、ラネーフスカヤの魂はずっと迷子なんだろうなと虚しさを感じてしまった。酷いことをされてもパリにまで付いてこられてもそしてそのまま病気になっても、尽くし続けた男が彼女の心の中に居座り続け、ラネーフスカヤと共依存のようになっていたのだろう。その男を語る時と、トロフィーモフを貶す時に現れる彼女の興奮と雄弁さ。

彼女が一番感情を露わにするのが、桜の園が競売で兄以外に売れてしまったことを知る時の慟哭だけど、ロパーヒンが成し遂げた下剋上に対してなのか、故郷が失われることへの喪失感なのか、色々な負の感情に苛まれたラネーフスカヤの叫びが個人的に結構衝撃で、天海さんがそこまで感情のメーターを振り切らせたのは久しぶりなのか、劇場では初めて観たのか、確かではないけど、哀れなラネーフスカヤに絆される瞬間だった。ある意味心の行方がわからなかったラネーフスカヤがたどり着いたゴールだったのかもしれない。桜の園が売れてアーニャから「おめでとう!」と言われるのも初めは驚いたけど、そこでラネーフスカヤが桜の園に縛られ続けた状態だったことがより明確になり、先述した彼女の異物感は、この多くの登場人物の中で唯一未来にベクトルが向いていないこともその理由でもあったとを理解させられた。
アーニャの「おめでとう!」が、古い屋敷に囚われた主人の立場から、ただの少女のように、そして未来ある女性へと魂を入れ替えるスイッチだったのかもしれないけど、最終的には兄と共にこの屋敷を離れる寂しさを客席に対しては隠しきれておらず、桜の園への執着と哀愁こそ、彼女が見せてくれる人間臭さだった。

天海さんがプログラムの中に書かれていた「説得力」の話。やはり「俳優・天海祐希」の持ち前の説得力が飛び抜けているので、他の作品での天海さんを観ている時のように、ラネーフスカヤの発言に私達が納得してしまったらそれはこの作品の意図するところではないのだと思う。主役だけど、正義の主役ではない。人間の憐れさ、愚かさを煮詰めたような人物だから。でも、そんな人物であるラネーフスカヤをこんなにも劇中の登場人物と客席の誰もが惹きつけられるほどチャーミングに、そして儚く演じてくださる天海さんの説得力にはひれ伏したい。この役に出会い、この役を纏って舞台に立ってくださることに感謝しかありません。

トロフィーモフ/井上芳雄さん

ミュージカル界のプリンスという肩書きを脱ぎ捨て、それを魂の勲章にしてこの役を演じてくださったのだろうな。本当にすっっっっっごかった。ここまで振り切ってくださりありがとうございました。

こちらのエンタメ通信で語られていた「容姿も二枚目ではありません」ってどんな……?とワクワクしつつ、

初日開演前にこちらの動画を拝見し、いや二枚目ですけど……?めがねかっこよ〜!ようやく舞台上でのめがね姿が見られるんだ……でも芳雄さんファンのフォロワーさん達が、本来の2020年上演時は若禿のカツラだった話をしているし……?って期待と緊張半分で迎えたmy初日に舞台上のトロフィーモフと対面したところ、想像を絶するビジュアル+登場の仕方で度肝を抜かれた。トロフィーモフって、今公開されている舞台写真のどこにも居ないので、やっぱりこの作品の最終兵器みたいな位置付けなんだろうか。

窓から入ってくるし、ビジュアル強すぎるし、登場早々ラネーフスカヤの手を取るし。いつまでも『ムーラン・ルージュ!・ザ・ミュージカル』ロスの私なので突然“象の部屋”の窓から入ってくるElephant Love Medleyのクリスチャンを思い出して懐かしくなったり、観たことない強烈なビジュアルの芳雄さんがそこにいるし、今回私にとって夢の共演なのにいきなり天海さんの手を取る芳雄さんという急展開だし、もう心臓跳ねまくりでした。すごい。

トロフィーモフが存在するだけで客席の笑いが込み上げ続けるようなビジュアルの強さで、2023年のミュージカル『ベートーヴェン』を彷彿とされるような髪の長さだけど本当に頭髪は薄くて、顎髭を生やしてそして眼鏡をかけて、服装はまるで七五三のようにぴっちり着せられたスーツで幼さを感じつつ、首からは老けてるけど頬はピンクだし、年齢不詳の極み。でも、そのおかしな行動や立ち回り方から垣間見る体感の良さや、なんといっても声はいつもの芳雄さんなので、そこに安心するというか。前に芳雄さんがご自身のWOWOWの番組『芳雄のミュー』の中で、「何でもできる、役者だから」とサラッと言った一言が、芳雄さんの活動を追う中でキラキラ輝き続け、本当にその通りだなと何度も思わされたけど、今回もこの言葉を感慨深く思う。板の上では何にでも、誰にでもなれるんだ、役者だから。

容姿をバカにされ、髪をむしられ、頭でっかちな万年大学生であることをとにかく色々な方から罵られるけど、第2幕で、理想と現実を語る時の誰をも惹きつけるような抑揚に、やはり芳雄さんは舞台に愛された人だと改めて思った。禿げている出オチの役ということであれば芳雄さんじゃないキャスティングでも良いのでは?なぜミュージカル俳優の芳雄さんが歌を封印してまでこの役を?とも考えたけど、トロフィーモフの持つ二面性というか、社会の理想と労働者の現実を語る彼の語り口に狂気を感じたのも、最終的に下剋上を成し得たロパーヒンのようなエネルギーが彼の中で眠っていたからだろうし、ただのおとぼけキャラで終わらない彼の野望を真っ直ぐに、そして時にコミカルに見せてくれる芳雄さんの技量あってのことなのだろうな。第3幕以降はちょっとドラえもんののび太くんのようなポジションで可愛さすらあったけど、最終的にラネーフスカヤに一番弱いところを刺激されて萎えてしまうような展開さえ愛おしい。

終演後のカーテンコールでは、トロフィーモフのビジュアルのままの芳雄さんにエスコートされて彼の腕に手を絡めて天海さんが去っていくけど、この演出、何ですか?私得ですか?ってひたすらにはしゃいだ。夢だけ夢じゃなかった今回の共演、本当にありがとうございました。
しかしなんで、エスコートし、エスコートされるペアこの2人?確かにキャストのクレジット順だと1番目と2番目だけど、あいうえお順…?(笑)ってシンプルに感じてしまうくらいには、この2役の関係性については少し考えたいところ。ラネーフスカヤにとってトロフィーモフは亡き息子の家庭教師、そして娘と“恋愛を超越した関係”だと語る万年大学生。しかも髪も髭もだらしない見た目。逆にトロフィーモフにとってラネーフスカヤは、桜の園に固執しつつもそれを守ろうと具体的な行動には移らない、その美しさから誰からももてはやされる人気者という立場を持て余しているような存在だったと思う。よく理性と感情で男女の思考回路の別を語られがちではあるけど、典型的なその対比が面白くて、第3幕の、桜の園の競売から帰ってこない兄達を待ちかねて情緒不安定になるラネーフスカヤと、彼女と一緒に待つトロフィーモフの貶し合いこそその真骨頂で、滑らかな台詞回しで次々掛け合いを続ける2人にひたすら引き込まれたシーンだった。2人がこの役であることの意義、そしてケラさんの配役の妙を感じる時間。多くの人が集っていたお屋敷の部屋の中、ダンスパーティーに人を取られてがらんとした空間で、腹の探り合いどころか感情をぶつけ合うシーンはヒリヒリするというよりも、互いの生き方を軽視し合う本音の攻防。表向きは外面が良いものの中身は空っぽのラネーフスカヤと、頭の中では色々なことを考えてビックマウスではあるけどそれを納得させるほどの行動ではないしだらしない見た目でさらにマイナス要素を与えてしまうトロフィーモフ。その比較が愛おしい2人だった。ラネーフスカヤはパリまでついてきた男と共依存の関係だったのだろうと先述したけど、ラネーフスカヤとトロフィーモフとはお互い「何者かであると他称/自称しているけど、結局何者でもない、何者にもなれない」という虚しい共通点が心の奥底で共鳴しあっていたのかもしれない。ちょっと無理やり過ぎるかもしれないけど、最後のエスコートに意味を見出したい私なりの解釈でした。

普段はミュージカルをよく観るおたくなので、ストプレは音楽やダンスがない中で、伝える術は身ひとつのみ、その状況がとても新鮮で、そんなシンプルな状況だからこそ伝わるものがあるし、演劇の可能性を改めて感じた3時間でした。とは言いつつも、少しだけ歌ってくれたり、ダンスパーティーでは実際にダンスのシーンがあるのも華やかで嬉しくて。
ストプレだから、ミュージカルだから、という定義なんてもういらないのかもしれない。ジャンルの垣根を超えて魅了される『桜の園』でした。おわり。

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