【楽曲考察・前編】歌い手と聴き手を結びつけるFinallyの「双方向性」【まいにちFinally・day6】
こんにちは!灰色です。
早速ですが、本日も「まいふぁい」やっていきましょう。
今日はちょっとだけ真面目ぶった……というか長い話になりそうです。長文につき、前・中・後の3回に分けて投稿いたします。気合い入れすぎですね。
また文章の都合上、普段と違いメンバー名に「様」その他の敬称愛称がついていませんが、悪しからずご了承ください。
突然ですが、私はメディアで触れるメジャーなアイドルソング全般に対して、どうにも苦手意識がありました。
そもそもアイドル自体に苦手意識と先入観があり、その辺はまとめて別途語りたいとは思うのですが、今回は楽曲に絞った話です。
なんというか、普通のアーティストの曲にしてもそうですが、「等身大のラブソング」「誰が共感できる応援歌」みたいなものが好みじゃないんですよね。
恋愛経験が乏しすぎるのとひねくれてるだけだろ、と言われてしまったら否定できないのですが、何というかメジャーアーティストがそういう曲を歌うこと自体に距離感を覚えてしまって。
別に何もかも実体験を歌えと言ってるわけじゃないし、想像力の豊かさを感じさせる歌詞は素敵だし、メロディだけで十分魅力的な曲もあるんですが。
ただ、国民的アイドルに「一人一人が特別」とか言われましても、「君が好きで片想いが苦しい」とか言われましても、「未来はそんな悪くないよ」とか言われましても、ちょっと刺さらないというか。そんなことを思って、ヒットチャートから距離を取ることが多かったんですよね。
無論そういった曲は広く共感を呼んだからこそ人気が出たわけですし、これをお読みいただいてる中にも好きな方がいらっしゃったら申し訳ないのですが。
私にとっては、世間で言われる「応援ソング」に共感できたり元気づけられることはほとんどなくて、それよりはいっそ、空想の世界だけれどもとびきり熱くカッコよくて勇気を奮い立たせてくれる、ひと昔ふた昔前のアニソンとかの方をずっと好んで聴いてきたわけです。
と、いきなりの自分語りでごめんなさい。
そんな私だったのですが、Finallyの楽曲には無理なく感情移入できて、一つ一つの言葉をすごく大切に噛みしめられるんですよね。さすがに淡恋みたいな青春はもうできませんが。
これだけだと、お前それハマってからの後付けだろう?と言われそうなので、今回は改めてその理由を言語化してみようと試みた記事です。いつも以上に前置き長すぎですがご容赦ください。
で、じゃあ何なの?という話ですが、私はFinallyの楽曲の多くに共通するキーポイントを「双方向性」という言葉で表せると考えています。
双方向性とは、楽曲のワンフレーズが我々聴き手に向けたメッセージと、彼女たち自身へ向けたメッセージの両方の意味を持っている、ということです。
抽象的な話ばかりでは分かりにくいと思うので、特にハッキリと分かる曲やそれらの一節を抽出していきましょう。まずはこちらです。
Finallyの応援ソングといえば、まず思い浮かぶのがこの「君エール」です。その曲名通り、聴き手に勇気と活力を与えてくれる名曲ですね。
しかし、この曲は同時に、彼女たちが自身を奮い立たせる曲としても書かれているように思えるのです。それをまず感じさせるのが、冒頭から「君」「僕」の両者の未来(=明日)をそれぞれ歌っている上記の部分です。
この部分は、彼女たちが二度と同じもの・当たり前のことはない一度きりのLIVEに毎回全力で挑んでいること、そしてファンからの喜びや期待がそのステージを支えていること、というように受け取れます。
また同時に、Finallyのステージは、ファンの側にとっても何よりの支えです。その日に出会ったどちらの存在も、決して当たり前のものではありません。
ラストサビ前で、君=聴き手と、僕=Finallyの物語は完全に重なります。グループとファン、その両方が揃って同じ方向を向いて初めて、夢の景色を描き、空へ羽ばたいていける。
「君エール」は、「君に贈る」エールであり、「君から受け取る」エールでもあるのです。
「双方向性」を持っている歌詞とは、言い換えれば「聴き手だけでなく、歌い手である彼女たちの心にも響く言葉」だと言えます。
より砕けた表現をすると「彼女たち自身にそのまま返せる、ファンからも彼女たちに伝えたい言葉」です。
ここでは、Finallyならではの特徴である、セルフプロデュースのためにメンバー自らが作詞を手がけているということも、重要なポイントになります。
彼女たち自身が書いたリリックは、彼女たちが伝えたいと思って選んだ言葉の集合体であり、そして聴き手の心に最も響くように細部まで考え抜かれた、想いの結晶なのです。
であればその歌詞は、彼女たちが受け手に回ったとしても、納得して受け止められる言葉……誤解を恐れずにもっと言えば、きっと彼女たち自身にとってもも「相手から伝えられたら嬉しい、元気づけられる言葉」なのではないでしょうか。
その最たる例の一つとして、「Believing」のサビが挙げられます。※サブスク未解禁&現在YouTube非公開のため、リンクがない点はご了承ください。
この曲のLIVEパフォーマンスでは、このパートで観客が拳を振り上げてコーラスに参加することで、聴き手からFinallyへ向かって「Don’t stop Believe in yourself」=「自分たちを(Finallyを)信じることをやめないで」と伝えられる構成になっています。
さらにはその際、ステージ上のメンバーが同じように拳を振り上げながら、まぶしい笑顔で客席の一人一人を見渡していくことで、「双方向性」がLIVEの場でも実現されているという、非常に印象的なケースです。
また、「君は君で、そのままで。」も好例です。LIVEでは滅多に披露されないレア曲ですが、際立って双方向性を実感できる作品です。
このフレーズこそ、彼女たちのことを応援するファンの誰もが直接伝えたい言葉に他なりません。私の目に映る彼女たちは、ただただ、完璧です。
一言一句を大切にするMegの書いたこの歌詞は、彼女たちが真に価値があると信じて紡ぐ言の葉です。そして、誰よりもその賞賛と応援を受け取るに相応しいのは、彼女たち自身です。
ありのままの、自分たちのスタイルを貫くFinallyが好きだ。
Finallyは、他のどんなアーティストよりも特別だ。
Finallyには、そのままでいてほしい。
その想いを届けるのに、第三者の介在はありません。大人の事情や、事務所の都合、損得勘定は存在しません。
セルフプロデュースグループである彼女たちとそのファンによる双方向のエール交換こそ、Finallyを推す中での最大の喜びであり、他のアイドルでは味わえない無二の魅力の一つです。
こうした点については、リーダー・Juri自身もTwitterスペース「#ラジナリー」で2022年末に一年の活動を振り返り、当時リリースされたばかりの「WINNERS」についてコメントする流れの中でこう語っています。
「Finallyの曲って、あんまりただ楽しくバカ騒ぎするだけ、みたいな曲はない。その代わりに、聴く人ひとりひとりが、場所や形は違っても、今日も頑張ろうと思えるような曲を作っている。大きな夢や目標じゃなくても、今日一日だけ仕事を頑張ろうとか、楽しみにしてたあのドリンク飲もうとか、そういうことでもいいし、その背中を少しでも押せたら」
録音もなく大雑把な記憶なので、細部の違いはご容赦いただきたいのですが、趣旨はこのようなものだったかと思います。私はこれを聞いたとき、兼ねてから自分の頭にぼんやりとあった「双方向性」という仮説は間違いではなかったのだと、とても嬉しくなりました。
それから構想を固めているうちにさらに一ヶ月が経ちましたが、ようやく今回記事にできたのは、勝手ながら達成感があります。
ただし、忘れずに触れておかなければいけないことがあります。ここまで考察してきた歌詞は、いずれも彼女たちの真剣な姿勢、夢を目指す気高い精神を反映しています。そして、セルフプロデュースであるからこそ、それ以外の他者のフィルターがかからず、ファンとの間の双方向性を実現しているのだと言えます。
しかし一方では、Finallyのスタンスが真っ直ぐであるがゆえに、ともすれば似通った歌詞になりかねず、リリースを重ねるごとにパターンやボキャブラリーが減っていってしまう恐れがあります。
極端な言い方ですが、常に真摯であることの副作用として、歌詞が「似たり寄ったり」になってしまうかもしれないのです。
彼女たちに限らず、作詞をするアーティストであれば誰もが一度はぶつかる壁かもしれません。その際、商業的な面を考慮すれば、別角度からのアプローチを試みることも一つの手でしょう。
ただし、彼女たちは目標にストイックすぎるほどストイックであり、常にその姿勢を貫いて真っ向勝負を続けています。そのため、問題を誤魔化して一時しのぎのような歌詞を書き、思い入れのない作品を世に出すという選択を取ることは、極力避けていくと思われます。
なお、少し横道に逸れますが、ここで一つの大きな例外を紹介しておきましょう。その例外とは、イントロから徹底的にダークで悲劇的・破滅的な世界観を貫き通し、全てが終末に向かう中で唯一残る愛を歌った異色の楽曲、「愛迷」です。※リンク切れ中
マイベストの一つである超名曲ですが、雰囲気が大切な純バラードであるが故に、短時間でのインパクトと盛り上がりが要求される対バンでは、頻繁に選出される曲ではありません。
また、このように既存曲と大きく異なるコンセプトを持ち、丁寧に練った表現でイメージを具現化するような曲は、構想に時間を要することや、極めて高い完成度が求められることが想像できます。
これらの点から、とにかくノンストップで全速力を出し続けている現在の彼女たちにとっては、制作が相当に困難な部類に入るでしょう。よって、現状では唯一の「異色の名曲」ポジションになっているのです。ここまで強烈にシチュエーションを限定した楽曲は、今のところ他に見当たりません。
本題に戻りましょう。
歌詞のメッセージ性が似たり寄ったりになってしまう、いわばマンネリ問題。
しかしこれを、Finallyは既に、とても鮮やかに解決しています。
中編では、彼女たちがいかにしてこの問題を突破してきたか、それに着目していきましょう。
それでは、また明日!