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適当にアウトプットするということ、京都雑感

坂口恭平著『自分の薬をつくる』を読みました。その中で特に印象的だったのが、人はインプットする際には、割と自由にいろんなものをインプットしているのに、アウトプットするとなるとちゃんとしたものをアウトプットしようとしすぎているという話です。

言われてみれば、自分もこのnoteに書こうとするとちゃんとした自分なりの考えをまとめてから書こうと思ってしまい、途中で書くのを諦めたnoteが幾つかあります。インプットについては言われる通りで、本は同時並行的に何冊か読んでいますし、YouTube でも定期的に視聴するチャンネルがありますし、それ以外にも音声メディア(VoicyやSpotify)で聴いているものがあり、インプット過多と言ってもいい状態です。

一方でアウトプットとなるとやはり適当にアウトプットするということができないでいました。なぜ適当にアウトプットすることができないんでしょうか。やはりアウトプットは誰かに見てもらいたいということを考えるので、適当にというわけにはいかないように思います。

ならば適当にアウトプットするためには誰かに見せることを考えずにただ書いてみるということが必要なのかもしれません。試しにそのように書いてみようと思います。

京都に住み始めて5年目になります。それまで観光で来ていたときにはほとんど行ったことのない場所にも行くようになって印象が変わってきました。まず京都の街中は道がとても狭いです。それにもかかわらず車がどこにでも入り込んで来ます。祇園祭の時だけ四条通りが歩行者天国になるんですが、そもそも「歩くまち京都」とか言うなら四条通りとかずっと歩行者天国で良いんではないでしょうか。それに加えて三条から五条にかけての細い道も原則日中は車両進入禁止にしても良いと感じます。そうすれば人もゆっくり回遊できて周りの店も賑わうと思うのです。どうしても歩きたくない人には人力車とかに乗ってもらうことにすればいいと思います。折角の京都の中心に駐車場とかあると興ざめしますね。

京都って観光地は人混みが大変ですが、ちょっと外れて住宅街に出るとびっくりするくらいしーんとしていて夜とかほとんど人通りもなくて寂しいくらいです。確か平安時代の京都って15万人くらいしかいなかったらしいので、それくらいしかいなかったら、ちょっと中心から離れたら街灯もないから真っ暗だったでしょうし、鬼や妖怪が出ると言っても不思議でなかったかもしれないですね。

あと街中は小さい家が多く、ドンツキの先にある家とか結構あります。清水五条の辺りは趣がある昔の京都を感じさせますが、それ以外の住宅街はそれぞれ統一性もない住宅が結構あって特に京都ということを意識しない感じです。統一性を持たせた街は、奈良の今井町とかありますが、それはそれでメンテナンスに結構コストがかかるみたいで継続するのはどうかなと思いますが。

周りを山に囲まれていて、京都って住んでみると割りと田舎っぽいところもあります。特に高さ制限があってタワーマンションなんかもないので、見通しが良いなと思います。少し高いところから五山の送り火も見えて、その辺は庶民であっても京都に住んでるなあと実感できる時でもあります。あと自転車があれば結構な範囲を行ったり来たりできるのもいいところです。もっと自転車のための道路を京都の周辺部に充実させてもらいたいなと思います。妖怪がかつていたところを繋いで妖怪巡りサイクリングロードとか作るとか、京都ならではのコースを作ったりするのもいいかもしれません。


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