1946年のある日:私の終戦記念日
「子や孫は絶対海外に行かしてはならない。」これは父が私に何度も言っていた言葉だ。1943年(昭和18年)父は、満州鉄道の子会社で鉄道の枕木を作っていた満州土木の下請けとして満州で仕事を始めていた。その父が一時帰国していた1945年(昭和20年)の3月、既に空襲が始まっていた本土に比べて、空襲のない満州の方が安全だということで、母と姉と私を満州に連れていくことになった。私たちは下関から朝鮮半島経由で満州に向かった。
終戦と中国共産党による統治
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