わかりあえないことをつなぐために
ドミニク・チェン著『未来をつくる言葉』を読み終えた。以前にNukaBotも見たことがあるし、愛知トリエンナーレの展示も観たので、その話も楽しく読めたが、著者の家庭環境とこれまでの人生が、言語に対する向き合い方を独特なものにさせていることが、個人、家族とのエピソードを交えながら語られ、心地よく、そして興味深く読み進められた。読んで思ったことを少しメモしておきたい。
バグは価値を生む
コンピュータプログラムのバグの話から、自身の身体のバグ(吃音)の話になる第2章で、吃音があるので、他者との対話において同じことを繰り返さないことのトリガーとして生かすなど積極的に吃音をとらえ直し、ついには吃音を「最も身近な他者」と呼び、いなくなると寂しいというと感じるまでになっているという話を読むと、欠点と思われることも向き合い方を変えれば人生を豊かにするのかもしれないと思った。最近読んだ『脳と時間』の著者のディーン・ブオノマーノによれば、人間の脳もバグだらけなので、人が生きていくのにバグはつきものと思った方が良いのかもしれない。
因みに以前、企業のIT部門で働いていたとき、デバッグをしていたので、コンピュータのバグ=取り除かれるべき欠陥のように思っていたのだが、最近知り合ったアーティストの宮田彩加さんが、まさにミシンのプログラムにバグを紛れ込ませて作品を制作するというのを聞いて、コンピュータのバグも価値を生むんだなと思ったことを思い出しもした。
共にあるために
この本で一番共感するのは、著者が言語によるコミュニケーションをよりよくするために『タイプトレース』を開発した話だ。言語だけでは抜け落ちていく無意識の部分というか、その過程をコミュニケーションに加えられればより意図が伝わりやすいと思う。言葉は発せられるまでに戸惑い、廃棄されそして発せられる。これが可視化されることでどれだけ豊かなコミュニケーションになるか。これは実際、愛知トリエンナーレの展示を観ながら感じたことだ。
言語と環世界
一点、言葉が無意識の受容体となって、人の環世界が立ち現れるという話は、面白いと思う反面、若干違和感を覚えた。確かに言葉によって人間の環世界が豊かになったかもしれないが、言葉そのものは、新しく生まれた人間にとっては既に外部にあり、著者が言うように新しい領土として獲得されねばならない。ただその過程で失われていく感覚というものがあるような気がしている。最近読んだズーの話でもそれを感じた。なぜなら人間は言葉を持つ前に犬や馬たちともコミュニケーションしていたはずだから。逆説的ではあるが、言葉が大事であるがゆえに言語以外のコミュニケーションの可能性ということも考えておきたい。
モンゴル人の贈り物
新婚旅行で行ったモンゴルで、最後の日に白い馬を「贈与」された話はとても心ゆさぶられた。ぜひ読んで欲しい。