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27年ぶりに映画『バスキア』に触れて。
20代の頃、バスキアの個展があり、見に行ったことがある。その辺りのタイミングで映画も観たのだが、最近仕事で彼のことに触れる機会があり、27年ぶりに同じ映画を見返した。1996年公開だから、あの時の私はまだ25歳だったのか。
若い頃に観た映画を再度見返して、歳を取った自分のどのくらい理解の仕方が変わったのかを知るのは面白い。
断片的にしか覚えてはいなかったが、映画の最後にどうしようもなくやりきれない気持ちになったのは昔と同じ。こないだ観たビリーホリデイのドキュメンタリーを観た時も同じような感情に陥った。
バスキアもビリーも才能に恵まれ、若くして名声も富も得ていくが、生い立ちにかなり問題があるのと、生まれ持った繊細さで、深く傷ついている。そして2人とも根強い人種差別と闘っている。
当時の白人中心のアートの世界で、黒人であったバスキアは常に理不尽な思いを抱えながら生きている。その思いが作品づくりの原動力にもなっていたのかもしれないが、映画の中でも幾度も差別的な扱いを受ける場面があり、いたたまれない気持ちになった。
バスキアの作品は大変魅力的でエネルギーに満ち溢れ、唯一無二なのだが、彼の人生を垣間見ると、富や名声を得たのに人を信じられず、近しくなったウォーホルのことまでも疑っているのが正直可哀想で仕方がなかった。ちなみにこの映画の中のウォーホル役はデビットボウイで絶妙な雰囲気を醸し出していて、なんだか面白かったけど。
何かを強烈に表現出来て、沢山の人の心を掴むことが出来たら、それはごく限られた人だけが得られる1つの幸せの形だと思う。ただバスキアが恋人や友達との関係を次々に壊していき、孤独になっていく姿は見ていて辛かった。
表現者になる人は辛さも悲しさも作品に込めて表現できるから、それはそれで羨ましくて、私も趣味で始めた音楽や美術をやめられないのは、つたないながらも何かの形で自分を表現することで、自分の生きづらさを解消したり、ありのままの自分を他者に分かってほしいのかなと考えたりもする。
取り止めもない話になったが、映画『バスキア』の感想を書いてみた。また生の彼の作品に触れたくなった。きっと若い頃とは違う何かを感じると思うし、若い頃と同じように彼のエネルギーを感じたいとも思う。