子は親を救うために「心の病」になる
著書 高橋和巳
子供の引きこもりや家庭内暴力、摂食障害、うつ病になる原因の一つに親の苦しみをとってあげたい子供の優しさから、母へのメッセージとして、心の病になるという。
子供は生まれてから成人になるまでは経済的な理由などで親の元から離れられないということを幼い頃から分かっている。というか、こんな堅苦しく考えないけど、「感じている」のほうが近いのかな?
小さい頃は、自分の体が物理的に小さく、抵抗力も弱いこともあって、自分なりに依存しないと生きてけない、と本能で分かっているのだろう。
だから、親に守られているから、そのお返しにその親が笑っていること、気持ちのいい状態を作ってあげることで、お返ししている。
本能的に親の機嫌をとっている。
親は外で仕事を頑張ってきて、忙しすぎて子供をかまってあげられる時間もないから、子供は大きくなると、親の状態を察知して、気を遣って、何も言わずにいい子になっている。
けれど、大人としては、この社会、働いていないと食ってけない。みんながんばっている。頑張りすぎている。誰が悪いとかじゃないけど、現状、こういうことになっている。
本の中で、子供の家庭内暴力が手に負えなった母親が著者(精神科医)に相談に来た。何回かセッションした中で見えてきたのは、子供の発言の中から要因がみつかった。その発言は・・・
子供:「お母さんの苦しみ取ってあげてね」
子供:「お母さんの苦しみ、自分でなんで分からないの?ねぇ、なんでわからないの?!」
と中学生の子がだだをこねてくるという。母はそれを見て、何を言ってるか分からないし、ある程度、暴力も収まってきているのに、何言ってるの?という感じ。
著者がセッションしながら導いていったことは、お母さんの幼少期について癒しや許しが必要であるということだった。
このお母さんは、幼少期の頃の自分の母がとても忙しく、「○○ちゃんはひとりでできるわね〜」と自分でやるように、自分一人でできるようにされてきたという。状況も色々あるだろうけど、このお母さんは「自分で何でもやるもんだ」という固定概念があった。だから甘えてくる子供に対してとてもイライラしてしまう。自分が子供の頃甘えてなかったから、子供は甘えるもんじゃない、と。
子供が「お母さんの苦しみ」というのはそこにあった。
お母さんは、「なんでも一人でやる」とうことに関して、心のどこかで負担を感じていたり、心細さを感じていたのだろう。そのことを子供は客観的にみている。
お母さんは当たり前だと思ってやっていたけど、自分では気づけないところで、ため息ついてたり、疲労感があったりと、その人の側にずっと居る人だったらわかる、「他人の窓」から子供はみていたんだろう。。。
そのことは僕(私)しか知らない母の一面。ずっと側にいる人しか気づけないし、他人に言ってもお父さんに言ってもわからないから、繊細な子供はそれに気づいて、母を助けようとしている。知識もまだないからどう表現していいか分からず苦しくて、自分の苦しさがなんなのかもわからない子もいるんだろう。それで表に激しい状態で現れるのだろう。
特に、思春期に多いらしい。
思春期の子の母が、いつも機嫌が悪い子供にあの子はハンバーグが好きだったから、ハンバーグつくったら機嫌が良くなるだろうと作って、「〇〇が好きなハンバーグつくったよ〜」と無理して話しかける。
〈その思春期の子の心情〉
その子にとっては、このハンバーグは、自分が幼い頃、母が作ったハンバーグを食べて、自分が嬉しそうにしてたら母が喜んでいたから、気を遣っていたものだった。本当にハンバーグ好きだったけど、母に気を使うことも付随していたから、「まだお前に気を遣えって言ってるのか!自分は自立したいんだ!!邪魔するな!」
という暴言暴力という激しいメッセージで届けていたという内容だった。
ある程度、自分の考えがあり、生まれてから教えられてきた親の価値観と世間とを比較できるようになってきた。それは、本人がここから自立して社会に適応しようと精神的に成長している最中。
中学生だと、まだ経済的な自立ができないから、親に頼らざるおえない状況であるが、精神的に自立をしたいという気持ちが思春期となって現れてくる。
学童期に必死に親の生き方を学び取り、それをベースに精神的に自立していく思春期。
周りと比較できる能力が育った時、親の生き方しか知らなかった自分、親は当たり前だと思っていたことだけど、私この考え方は苦しいし、抜け出したい、それと同時に「親の苦しみ」にも客観的に気づいてしまう。
親自身も苦しかったけど、長い間封印していて気づかないふりをしていた。
この重い封印を解くために子どもは「心の病」になる。
残していく親が心配、自分が先に進めなくて辛い、この二つの問題を解決して子どもは自立していく、と綴られている。
この本に出会えて良かった。
心のモヤモヤを言葉にしてくれて、なんだか浄化された気分になりました。