”自己否定感”

少し前に流行った“自己肯定感”。これと逆の“自己否定感”というものについて書きたいと思います。ネガティブな内容ですが、人を攻撃するものではないのでご容赦頂きたいと思います。


生きていれば「なんで自分はこんなことも出来ないのだろう」と感じることはあると思いますが、それとは段違いの”自己否定感”なるものが初めて生じたのは就職活動の時でした。

私は特にやりたいことも就きたい職業もなく、大学に行かせてもらったのに(行きたくても行けない人もいるのに申し訳ないと今は思っています)、それらを探す努力もしていませんでした。しかも専攻は「社会の役に立たない」代表格、日本文学でした(楽しくはありましたが)。

ゆえに、いざ就職活動の時期になると、
業界研究?企業研究?自己PR?そもそも社会の大多数を占める「サラリーマン」ってどうやってなったの?(;´Д`)
利益を追求するのも向いていないな、でもそれをしないと給料というものも発生しないんだよな(>.<)
説明会のためにあちこち周って、就職するためにもお金もかかるなんて、
何かしたかったわけでもないけれど、少なくとも就活のために大学に入った訳ではないはずだ・・・(-_-)
となってしまいました。

こんなですから、落ちまくりました(何社か忘れましたけど、3桁とかは受けてません。3桁も受ける熱量はありませんから。)。

就職活動中には、「大卒はアルバイトの人たちをまとめることが求められる」という話も聞きました。リーダーシップなんて無いのに・・・と思ってちょっとした愚痴のように親にその話をしました。
「当たり前だろ!そんなこと!!」と一喝されました。
その時初めて、大学なんて行かなければよかったと思いました。やりたいことがないなら尚更、高校卒業と同時に就職してはやく「稼ぐ側」に回ればよかったと思いました。

落ちる度に、やっぱり社会の役に立ちませんよね、こんな人間って思いました。それを繰り返すうちに、自分に対して「○○ばいいのに」と言うようになりました。最初は心の中だけだったのに、道を歩いていて口をついて出たことが数回ありました。周囲に聞こえていたら「他人に対してなんてことを言っているんだ」と大問題になっていたでしょう。

これが”自己否定感”の始まりであったと思います。
働き始めてからのことも思い返されますが、長くなりますのでここで一区切りにいたします。


こういった文章は、読んでいてもネガティブな感情になってしまうと思います。申し訳ありません。ただ、今は恥ずかしいと感じたときに上述のような言葉が浮かんでしまうことがありますが、すぐにその言葉自体を否定するように意識しています。この〈ネガティブの否定〉がぱっと出てくるようになってきたのはいいことではないかと思っています。

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