![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155949507/rectangle_large_type_2_dd2ee977206fab8ae7175fb1aeb99838.png?width=1200)
教員のメンタルを蝕む「べき思考」(前編)
前回、教員を「細く」「長く」続けていきたいということとその理由について書いた。
「細く」「長く」続けていくためには、メンタルを保つことが必要になってくる。
今日は教員のメンタルと深く関係しているであろう「べき思考」について書いていく。
学校現場を支える「べき思考」
1年半やってきて思うことは、教育現場はたくさんの「べき思考」に支えられて成り立っているということだ。
「校則は守らせるべき」
「式典中は静かさせるべき」
「授業中は生徒にこう振る舞わせるべき」
「教員は熱心であるべき」 etc…..
こういったたくさんの「べき」に支えられて、学校は成り立っている。
そしてそれらの「べき」を、生徒にも自分自身にも課し続けるのが、教員の仕事といっても過言ではない。
しかし、それが教員(特に若手)のメンタルを蝕む要因の一つなんじゃないかと、最近ふと思ったのだ。
教員のメンタルを蝕む「べき思考」
若手教員が自分自身に対して課しがちな「べき思考」には以下のようなものがある。
「教員は熱心であるべき」
「授業は毎回全力でのぞむべき」
「プライベートな時間よりも生徒を優先すべき」
「生徒に対する愛情を持つべき」
「絶えず研鑽を続けるべき」
学校で働き始めると、意識的にであれ無意識的にであれ、これらの思考に影響を受けることになる。
なぜならこれらは、日本の教師文化に強く根付いた思考だからだ。
これまで、教員がこれらのことを自分自身に課すことによって、学校現場は成り立ってきたのだと思う。
これまで一生懸命やってきた先生方をとても尊敬する。
教員になるような人は真面目な人が多い。
おそらく小さいころから、「こうあるべき」を一生懸命守ってきた人たちだと思う。
というか、守ることがそこまで苦ではなかった人たちが教員になっているのだろう。
そういう人たちが学校現場の「べき思考」を内面化し、さらに強固なものにしているのだと思う。
そして若手の教員はそんな先輩方を見て、自分自身にもそれらの「べき思考」を課すようになっていく。
学校現場に蔓延する無理な完璧主義
けれども、1年半やってみて気づいたのは、「べき思考」を自分に課せば課すほど病みやすくなるのではないかという説である。
なぜなら、教員はヒト相手の仕事であり、生徒が100%期待通りに動くことはあり得ないからだ。
例えば、銭湯を想像してみてほしい。
銭湯では、お風呂で友人と談笑している人もいれば、ベンチで座って一人でうたたねをしている人もいる。
ぼーっと考え事をしている人もいれば、サウナを何セットもストイックにこなしている人もいる。
各々が、自由な過ごし方をするだろう。
本来、人が集まる場所は、そのようになるものなのだと思う。
なぜなら、人間は多様で、楽しいと思うことも、心地よいと思うことも、不快感を感じることも、まるっきり全然違うからだ。
学校とは、本当は多様な感性や感覚を持った人間たちに、画一的な振る舞いや態度を強制する場所だ。
当然、上手に振る舞いを調整できる生徒もいれば、不快感が強すぎて問題行動(と教員側からは言われる)をコントロールできない生徒もいる。
それが「現実」なのだ。
だから、
「生徒は全員が集中するべき」
「全員が自分が指導している教科を好きでいるべき」
「全員が真面目な生徒になるべき」
「生徒は全員が校則を守るべき」
という生徒に対する「べき思考」=スタンダードにはそもそも無理があるはずだ。
非現実的な完璧主義とも言えるかもしれない。
人間は多様であり不完全である。
そのような「現実」を考慮せずに、教員がそれらの「べき思考」を持ち続けると、どうなるのだろうか。
「べき」を課せば課すほど、どんどん苦しくなっていく
先ほども書いたように、若手教員の大半は真面目で熱心だ。
だから、「次こそは全員に集中してもらおう」と意気込んで100%の力を注いで準備するだろう。
でも、生徒は人間であり、とても多様である。
自分とは全く違った20~40人の生徒を教えるとなると、当然自分の予想通りには動かない。
時間帯や曜日によっても、集中力や機嫌にムラがある。
生徒はたくさんの変な行動を突然する。
そして、期待通りに動かない生徒を見て、「あんなに準備したのに」と落ち込む。
でも、
「教員は熱心であるべき」
「授業は毎回全力でのぞむべき」
「生徒に対する愛情を持つべき」
「絶えず研鑽を続けるべき」
そんな、自分自身に課す「べき思考」がエンジンになる。
そして、「努力が足りない」「もっといい先生にならなきゃ」という自責思考で、また全力で頑張る。
そして、期待通りに動かない生徒を見て、また落ち込む。
このサイクルを繰り返していくうちに、「頑張っても報われない」感、無力感がどんどん強まり、自己効力感が下がっていく。
心が、どんどんすり減っていく。
私がそんな経験を繰り返すうちに気づいたのは、「使命感を燃やせば燃やすほど病みやすくなる」という事実だった。
それでは、どのようなマインドセットでいれば、持続可能な働き方ができるのだろうか?
次回はそのことについて書いていく。
(次回につづく)