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覚えておきなさい

『覚えておきなさい

人生は大きなことでできているのではない

それは非常に小さなことでできている

朝、一杯のお茶を飲む

そのお茶を

再び飲むことのない最後の

一杯であるかのように

全身全霊で飲みなさい

OSHO 』

なぜ自分が生きることをやめられないのか。

複雑に縺れた思考は、生きる上で、苦しみしかもたらさなかった。

何でこうなんだ。

何の意味があるんだ。

どうしてなんだ。

何で、何で、何で。

自分て何。

私って何。

私は誰。

生きるの?死ぬの?どうするの?

私はどうしたいの?

私は、私は。

乳がんになる前から、生きるのが大変で、困難であった。

私がおかしいんだ、異常なんだ、まともになるために、普通になるために、馬鹿にされるのが屈辱だから、一生懸命に自分を変えようとした。

変えなきゃいけないと思った。

いろんなものをやってみた。

でも、どれも満足できるものはなかった。

そんな自分の長い間の疑問の答えが、自分が虐待による複雑性PTSD だったということ。

ここに辿り着くまでに5年かかった。

5年くらい前、勧められて読んだ心理学の本で、自分が、情緒的虐待を受けていたのだと知った。

私は自分が虐待されていたという認識がなかったから、その事実を知ったとき、激しく動揺した。

だけど、激しく殴られたことはないが、叩かれていたし、怒鳴られていた。

食事は与えられていたが、いつまた父親が怒鳴り出すか分からない。

罰として、納屋に閉じ込められた。

両親は、毎日、喧嘩していて、互いに罵り合っていた。

毎日、母親から父親の悪口を聞かされていた。

いつも誰かと比較され、否定されていた。

それが日常だった。

行き場のなかった私の本当の気持ち、私の感情。

セラピーを受け始めて、自分の感情が分からないと気づいた。

楽しいが分からない。

幸せが分からない。

分からない、本当に分からなかった。

だからこそ身体が教えてくれた。

知覚できないように抑圧していた感情を。

自分の痛みに向き合う。

私は思考で成り立っているわけではない。

身体がある。

魂というものもあって成り立っている。

私はただ自分にあいたい。

そう思う。


















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