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【SS】女の髪は
「あまり短くするな。女の髪は長いほうがいい」
母が私の髪を切ろうとする度、父はそう言った。
私は自分の髪に興味がなく、母は毎朝娘の髪を結う必要がある。短くすることが最も「コスパがいい」ことだったにも関わらず、父の意向で私はずっと髪が長かった。
父は髪の長さ以外、私の風貌に何も興味がなさそうに見えた。風貌だけではない。習い事も、趣味も、およそ「女らしい」ことは何も求めなかったのに、長い黒髪にのみこだわった。短ければ楽なのに、と、母はよくぼやいていたものだ。
髪以外で父がこだわったのは成績だ。私は勉強を得意とし、小さな田舎の学校において常に学年で上位の成績を取り続けた。○○が一番だった、学年で上位○番だった、と話す度に、父は誇らしげに笑った。
地方の片田舎の小さな町。旧態依然としたその場所において、女は美しく、かつ「勉学においては」愚かであることが良しとされていた。教科書を読むよりも、その時間を料理や手芸に当てるほうが女子として良い時間の使い方だと言われていたのだ。
家事を手伝うこともなく、男子よりも成績の良い私は、故郷においておよそ「女らしい」存在ではなかった。
その私を誇った父は、娘に女らしくあってほしいと願っていたわけではない。むしろ私は父にとって、父の夢の代理であり、故郷における女としてのメジャーな人生を送ることは望まれていなかった。人の上に立ち、羨望の的になること。それが父の望んだ人生であり、私に望んだ人生だった。
父は自分の人生に絶望し、夢と現実にひきさかれていたのだといまはわかる。父が望んだ仕事での成功(端的に言えば出世)と現実は相容れず、世間の少なくない親と同様に、父も叶わなかった夢を子どもに求めるようになった。そして少なくとも勉強において、彼の子どもは求める人生の片鱗を見せた。「人の上に立つ」ことができたのだ。
その子どもが女であることを、父はどう受け止めていただろうか。女であるというだけで、スタートラインに立つことすら想定されていなかった時代と場所。そこで生きてきた父もまた、女をそういう存在として見てきたはずだ。
理想の人生。受け入れがたい現実。夢の片鱗を見せる子どもと、その子どもが人生において眼中になかった「女」であること。
そのすべてにひきさかれ、ある日、耐えられなくなった父は忽然と姿を消した。私が男児であったなら、もしくは勉強よりも家事を好む、故郷で一般的と言われていた女児であったなら。…あるいは父はまだ、私の傍にいたのかもしれない。
母はひとりで私を育てた。多忙な母は、それでも私にこれまでの生き方を変えさせようとはせず、私は親族に親不孝と罵られながら勉強に励み、大学進学とともに故郷を出た。
父がいなくなっても、私の髪は変わらず長かった。長い黒髪は、もはや私にとって分かちがたく私自身であったのだ。勉強ができることも、髪が長いことも、私は無意識に、父の子どもである証明のように思っていたのかもしれない。
髪を切ったのは、子を産む直前だった。思い切った決断などではなく、自然と「出産後には短いほうが楽だろう」と思っただけだった。切るときも、切った後も、私は髪と父を結びつけることはなかった。進学、就職、結婚。転機の度に父のいない人生は当たり前のものとなり、髪を長く保っていることは、私にとって「それが自然だから」というだけのものになっていた。だからこそ、切ることもまた、出産という転機における自然な判断だったのだ。
それ以来、私の髪は短いままだ。
「ママ、髪可愛くして?」
そんな私と対照的に、娘は長い髪を好み、その髪を美しく結い上げてもらうことを求める。私は日々、細く絡まりやすい髪を丁寧に梳かし、編み、結ぶ。艶やかな黒髪に映えるリボンやピンを選びながら。
そしてふと思うのだ。父が私の髪に求めたのも、こうした時間だったのではないか、と。
自らの髪を整え、保つことのできない幼児にとって、長い髪は手入れをする大人の存在とそのための時間そのものだ。忙しい母は、短ければ楽なのにとぼやきながら、毎日私の髪を梳かし、洗い、乾かした。櫛で、ドライヤーで、母に髪を整えてもらいながら、その手の温もりを、母の息遣いを感じていた時間。その何気ない親子の時間を、父もまた必要としていたのではないか。
父は自分の人生と私の存在に心を乱しながら、それでも私という子どもを心から愛していた。娘として過ごした記憶が、親となった私にそれを証明する。親でありながら私に自分の人生を重ねた父にとって、母が私の髪を整える時間は、すべてを忘れて、ただ親として子どもを見守ることのできる時間だったのではないか。
父の心はわからない。もはや問う機会も訪れないだろう。私はいま、父の子どもである以上に、娘の母としての人生を歩んでいる。
長い黒髪を梳かしながら。その時間を、心から愛おしみながら。