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【企画SS#百人百色】ピアノのようにやさしく弾いて

三羽さまの企画参加作品です。

【お題】百人一首No48:
    風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけてものを思ふ頃かな
    
(詞花集 恋 211)源重之

    (簡約)岩を打つ波のように、こちらの思いだけが砕け散る

 恋人は今日も目を合わさない。スマホのディスプレイに照らされる顔は、作り物のように静かだ。
 今夜は風が強い。虚しく吹き荒れるその音に誘われるように、何気なく鍵盤に指を置く。
「やめて。ピアノを弾かないで」
 恋人の冷たい声が指を止める。振り返っても、恋人は目を合わさない。

 恋人は僕のピアノが好きだった。あれを弾いて、これを弾いて、とまとわりつき、リクエストどおりに弾けば嬉しそうに笑った。
 もう随分と長く、ピアノを弾いていない。

 いつの間にか恋人は眠ってしまったようだ。ソファの肘掛けに伏せた顔に髪がふりかかっている。髪をかきあげて頬にふれると、薄く開いた唇から吐息のような声が漏れた。
 恋人はキスが好きだった。以前はよくねだられたのに、今では重ねることも避けられている。この唇にふれるのはいつ以来だろう。そんなことを考えながら、瞼に、頬に、唇をふれていく。
「やめて。今日は眠い」
 不快そうに眉を寄せて、恋人の細い腕が僕を押しのけようとする。眠いせいか力は弱い。構わず髪に、耳に、鎖骨に、指を滑らせる。
「やめて。さわらないで」
 不快そうに眉を寄せて、恋人が逃げるように身を捩る。眠いせいか瞼は開かない。構わず手のひらに、顎に、首筋に、キスを落とす。
「やめて。もう、…」
 不快そうに眉を寄せて、恋人は呟くように言う。眠いせいか最後の方は言葉にならない。構わず、その唇に…。
「やめて」

 恋人はキスが好きだった。恋人は僕にふれられるのが好きだった。ピアノを弾いていると、まとわりついて曲をリクエストし、弾き終わると僕の手を取って囁いた。
「ピアノのようにやさしくさわって。ピアノのように、やさしく弾いて」
 僕は音階を確かめるように、そっと恋人にふれた。僕の指が、唇がふれる度、恋人は丁寧に調律されたピアノのように甘く歌った。

 今夜は風が強い。こんな夜はいつも、重い和音を弾くようにふたりでソファに沈んだ。もう随分とピアノを弾いていない。
「やめて。今日はもう眠らせて。…さわらないで」
 不快そうに眉を寄せて呟く恋人。閉じられた瞼は開かない。僕は構わず指を、唇を滑らせる。丁寧に調律されたピアノのように甘く歌った恋人の口から、もう音階は聞こえない。初めて弾くピアノのように、僕の指にぎこちなく微かに抵抗する。
 僕は構わず指を滑らせる。弦の切れたピアノのように、恋人はもう歌わない。
 僕の指は、虚しく白い鍵盤で踊る。

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