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【番外編SS】ふたりの年末
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「降ってきたね」
窓の外を見て彼が言う。部屋の中は暖かで、天気の変化には気づかなかった。
「寒くない?」
「平気」
隣に座った彼が、はい、とマグカップをくれる。温かいココアを飲みながら、何を話すでもなく、何をするでもない、ただふたりの時間が流れる。
以前のわたしは、こんな時間を楽しむことができなかった。いつも何かに追われて、キリキリと焦燥感にかられて、読書や勉強をしていた。
そんな時間もきっと悪くなかった。自分のすべてを仕事にかけるあの時間がわたしを育て、彼との関係を作った。
けれど人は変わる。変わっていいのだ。
「年末年始はどう過ごす?」
穏やかな笑みを浮かべて、彼が顔をのぞき込んでくる。子どものようにきらめく瞳がクールな外見を裏切っていて、あまりにも魅力的だ。
「いつもはなんとなく過ごしちゃうかな。特に何かする、って感じじゃなくて」
「どっか行く?」
「いつもは家族での初詣くらいだけど」
見つめていると吸い込まれそうな、綺麗な瞳。その瞳に自分が映っていることが、いまだにふと不思議になる。自分がこんな時間を過ごすようになるなんて。
ただ恋人と見つめ合う。そんな時間が、こんなに甘美で幸せなものだったなんて。
「…あなたとなら、何をしてもいい。どこかに行っても、行かなくても。年越しからの初詣でも、寝正月でも」
ふふ、とくすぐったそうに笑って、額が触れる。いたずらな瞳が、いっぱいにわたしを映している。
「…俺も。いっしょにいられれば、なんでもいい」
ふたりの時間。
ひとりの時間。
これまでの時間。
…これからの時間。
これまでのわたしがふたりの時間を作り、ふたりの時間が、これからのわたしを作っていく。
今までとは違う時間。今までは考えなかった人生。
これからのわたしは、こういう時間を一番にするだろうか。
仕事のための研鑽よりも、彼との時間を望むだろうか?
仕事。
「あ。そういえば、見た?この記事」
彼がきょとんと目を見開く。スマホに表示された情報は、会社の大口取引先の業況に関する記事だ。
「え。なに、知らない」
「さっき速報で入ってきたの。明日、部でも話が出るかもしれないと思って。影響調査とか必要かも…。法戦の収益計画上も影響するんじゃない?あなたとはチームが違うと思うけど…なに?」
「いや、…ミキさんらしくて…この流れで、仕事の話って…ウソだろ…」
吹き出した彼が身体を折って笑っている。意味がわからない。
「い、色気なさすぎ…絶対キスの流れだったろ今…取引先の業況速報って…」
笑いすぎて涙が出ている。恥ずかしさとおかしさがじわじわと湧き上がってきて、顔が赤くなるのがわかった。
「ご、ごめん…ぼんやり考え事してたら、急に思い出して…」
ひとしきり笑った彼が、はー苦しい、と言いながら改めてこちらに向き直る。細めた目の端に涙の跡。それを拭う仕草まで魅力的な、わたしの恋人。
「謝らないでよ。…そういうとこが、好きなんだから」
「え」
ふふ、と笑ういたずらな子どものような顔。わたしへの愛しさに溢れた瞳。
「そういうとこ、好きだよ。仕事が大好きで、一生懸命で、どんな時間も成長につなげていける生き方。ミキさんは俺のこと真面目だって言ってくれるけど、やっぱり恋人といるときは仕事のことはあんまり考えたくないって思っちゃうから。…生活が自然と仕事につながってるミキさんは、すごく魅力的」
また顔が熱くなる。そんなわたしを優しく見つめて、彼が言った。
「大好きだよ。どんなミキさんも。…ミキさんと過ごすなら、どんな時間でも俺は嬉しい」
…キスをし損ねたのは、ちょっと残念だけどね。
これまでのわたし。
これからのふたり。
それはきっと切り離せなくて。人は変わっていくけれど、変わらないこともある。変わっていくことも、変わらないことも、丸ごと抱えてふたりで歩いて行けたら。
…こんな時間が、雪のように降り積もっていけばいい。