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1の僕と2の僕
僕(息子)には、1の僕と2の僕があるらしい。
まぁ、知ってはいたけど。
ちゃんと自分で自覚してたんだ🤣
息子は、今11歳。
思春期に片足を突っ込みはじめた辺り。
とはいえ、まだまだ甘えん坊で。
家ではお母さん、お父さんにべったり。
それが、1の僕。
外の僕は、もう俺で。
ちょっと賢くしっかりした、少し大人な僕。
っていっても、母側からみたら全然おこちゃまなんだけどね🤭
でも家から一歩出て、お友達や先生と接する僕は。
ちょっとお兄さんな僕で。
それが、2の僕らしい。
なんでこの話題になったかというと。
習い事を迎えに行った時にこの話になった。
今まで、送り迎えして。
習い事中も、観覧場所でみていたのだけど。
見られるとやりにくいから。
やってるところは見ないで欲しいとある日言われた。
ここの習い事、ちょっと家から離れてて。
家から地下鉄で行かないとならない場所にあるのだけど。
まぁ大きくなったし。
正直私も家で夕飯の支度をゆっくり出来るから楽になるし。
わかった、じゃあ一人で行ってみたらどうだろう?
という話になった。
雪の無い時期は、明るいし雨さえ降ってなければ自転車でもいける。
ただ北海道の冬の夜は暗くてちょっと心配だから。
秋、冬は帰りだけ地下鉄の駅に迎えに行かせて欲しいと提案した。
1人で行くのは、本人もちょっと不安がってたけど。
頑張ってみる!ということで。
数カ月前から、1人で行くようになりました。
で1の僕と2の僕の話。
今日帰り道で、
「ねぇ?お母さんに見て欲しくないのって。
習い事を適当にやってサボりたいとかそういう訳ではないよね?」
とちょっと突っ込んで聞いてみたところ。
「確かにそう怪しまられても仕方ないけど。
僕には1の僕と2の僕がいるんだよ。」
とこの話題に🙄
息子がいうには。
習い事の僕は2の僕で、そこにお母さんがいると1の僕と2の僕が存在してやりにくい。
毎回、参観日で見られてる気分がして緊張するしやりにくいんだよ。
とのこと😅
お母さんがそこで見ることによって、1の僕でも2の僕でもない。
1、5の僕になってしまう。
まだ僕は、3人の僕を使いこなせないんだよ。
とのこと👐
なるほど。
それは面白い!
まぁわからない訳でもない🤔
確かに、自分が子供だった頃。
外向きの私と、家の私と。
色んな私がいたような気がするし。
ちょっと疲れた時もあった。
そうやって使い分けるのは疲れるから、本当はどこにいる僕も僕で。
どんな僕も、自分らしく過ごしていけるのが1番なのだけど。
こういうのの積み重ねで、本当の自分を見つけて学んで行くことなのかもしれないね😊
何よりその状態を自分で言語化、出来たことに関心しちゃった。
なるほどよくわかった。
1の僕と2の僕、どちらの僕もお母さんにとっては大事な僕だから。
協力するよ。
しかし子育てって面白い😁
ちょっと昔の自分思い出したりも出来るし。
人ってこうやって成長していくんだなぁーっていう過程をみれるのは、とても貴重な体験だ。
改めて母にしてくれてありがとうと言いたい🩷
これからもそれを横でみさせてね🤗