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裏切りと期待は似た者同士


そもそも裏切りとは

日常生活の中で人に裏切られたと感じた事は誰しもあることでしょう。
私も過去にたくさんあります。

ただ、それは裏切られたという訳ではなく自分がその人に「求めた」結果です。

「これからも仲良く過ごそうと約束したのに」
「私の思いを聞いて理解してくれた。この人は私の理解者だ」

でも、この手の考えは人によって大きく異なります。その異なりから人は裏切られたと感じてしまうのです。

「約束したはずなのに」
「そんな事をする人だとは思わなかった」

こんな風に感じてしまうことと思います。

つまり、裏切りという行為は相手が自分と同じように、相手ならこう考えているだろうと決めつけることから生まれるということです。

【裏切られた側】はどうすれば

裏切りという経験は自分が求めた結果ですが、感じた痛みは本物です。
大切なのは裏切りという行為に着目するではなく、裏切られた時に感じた痛みに焦点を当てることが必要だと思います。

その痛みがどこからきているか、何が悲しかったのかが分かればその痛みを軽減できる対応策は見えてくるものです。

例えば、あなたが頭痛が酷く仕事も手につかない時があったとします。
薬や湿布、マッサージ等を試しますが一向に治らない。

そんなある日、あなたは腰の痛みから整体師に治療をしてもらいました。
不思議なことに、その日から頭痛は治まっていき数日後には痛みがなくなりました。

つまり、頭が原因で頭痛が起こったのではなく腰痛からくる頭痛だったのです。

これは身体だけに限らず、心にも同じことが言えます。
裏切られたから哀しいと感じるかもしれませんが、その痛みの原因を探っていけば気持ちの整理もつけやすくなるはずです。

【裏切る側】社会においての裏切りの位置

基本的に人間は自己主張をする生き物です。
その人間同士が現代社会で共生しているのですから、いざこざは絶え間なく起こっていきます。

そういった、問題を抑制するために
「法律・契約書」などが存在しています。
法を犯すと罰せられますし、契約違反をした際も同様です。

つまり、相手を傷つけることや裏切り行為は非常識として扱われる立ち位置にされています。
そうやって人の罪悪感を利用し社会は回されているのです。

相手に求められると期待を裏切れない人も多くいらっしゃると思います。
正直、生きづらくないですか?

裏切り行為はいけないこと。
社会が決めたルールに盲目的に従ってしまい、生き方の選択肢を狭めてしまっているのかもしれません。

裏切り側も裏切られた側も同じかもしれない

裏切る側、裏切られる側でそれぞれ主張があります。どちらにも共通していることは
「自分を主張している」ということです。

求めたいから求めた。求められても応えたくないから応えなかった。
相手の気持ちを考えずにやっていることは変わりないと思います。

同じ人など1人もいないですし、完全に理解し合えることは難しいです。
そういった前提を持っていれば、お互いに生きやすく傷つけ合うことは少なくなってくるのではないでしょうか。


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