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『ガールガール』がいつ刊行されたのか問題

今まで『ガールガールミステリー』と表記していました山田節子先生、さいとうゆずる先生の少女劇画シリーズですが、どうやら正式名称は『ガールガール』だったようです。マリアナ海溝にダイビングするレベルに勇気を出して『全国貸本新聞』を買って確かめました。

結構高かったんですよ。(値段は訊かないでください……)しかし、せっかく高い本を買ったので多少は元を取りたい訳です。そういう訳で今回は『ガールガール』がいつくらいに刊行されたのか推測する記事です。

全国貸本新聞には毎号いくつか広告が掲載されています。そこに作品の名前が載っています。さいとうプロは大手なので結構広告が載っています。「だったら余裕じゃん?」とお思いでしょうがそうではありません。

一応昭和40(1965)年の87号まで「毎月1回12日発行」、その次の88号(昭和40年9月1日)からは「毎月1回1日発行」とあります。
ページがそんなに多くないので、必ずしも毎号載っている訳でもないですし、それ以前に期日通りに毎月出ていた訳ではないようなのです。

一応他の資料で『ガールガール』No.1が刊行されたと思われるのが昭和40年とありましたが、ちょこちょこ刊行が飛び飛びになっています。
一応その前年の頭から、山田節子先生、さいとう・ゆずる先生が他の連載を始めたあたりまでを抜き出してみます。
(どのくらいインターバルがあるのかを確認するために「全国貸本新聞が刊行されていなかった月」を追記しました)

77号 1964(昭和39)年1月12日
78号 1964(昭和39)年3月12日
──   1964(昭和39)年4月(未発行)
──   1964(昭和39)年5月(未発行)
79号 1964(昭和39)年6月12日
80号 1964(昭和39)年7月12日
──   1964(昭和39)年8月(未発行)
81号 1964(昭和39)年9月12日
82号 1964(昭和39)年10月12日
83号 1964(昭和39)年11月12日
──   1964(昭和39)年12月(未発行)

84号 1965(昭和40)年1月12日
85号 1965(昭和40)年2月12日
──   1965(昭和40)年3月(未発行)
86号 1965(昭和40)年4月12日
──   1965(昭和40)年5月(未発行)
87号 1965(昭和40)年6月12日
──   1965(昭和40)年7月(未発行)
──   1965(昭和40)年8月(未発行)
88号 1965(昭和40)年9月1日
89号 1965(昭和40)年10月1日
90号 1965(昭和40)年11月1日
91号 1965(昭和40)年12月1日

92号 1966(昭和41)1月1日
──   1966(昭和40)年2月(未発行)
──   1966(昭和40)年3月(未発行)
93号 1966(昭和41)4月1日
(このあたりで切ります)

出てる月の方が当然多いのですが、出てない月もちょこちょこあります。ここにさいとうプロの広告が載っていない月を追記します。ない月は「広告なし」と書きます。

77号 1964(昭和39)年1月12日 広告なし
78号 1964(昭和39)年3月12日
──   1964(昭和39)年4月(未発行)
──   1964(昭和39)年5月(未発行)
79号 1964(昭和39)年6月12日
80号 1964(昭和39)年7月12日 広告なし
──   1964(昭和39)年8月(未発行)
81号 1964(昭和39)年9月12日
82号 1964(昭和39)年10月12日
83号 1964(昭和39)年11月12日
── 1964(昭和39)年12月(未発行)

84号 1965(昭和40)年1月12日 広告なし
85号 1965(昭和40)年2月12日 広告なし
──   1965(昭和40)年3月(未発行)
86号 1965(昭和40)年4月12日 広告なし
──   1965(昭和40)年5月(未発行)
87号 1965(昭和40)年6月12日
──   1965(昭和40)年7月(未発行)
──   1965(昭和40)年8月(未発行)
88号 1965(昭和40)年9月1日
89号 1965(昭和40)年10月1日
90号 1965(昭和40)年11月1日
91号 1965(昭和40)年12月1日

92号 1966(昭和41)1月1日
──   1966(昭和40)年2月(未発行)
──   1966(昭和40)年3月(未発行)
93号 1966(昭和41)4月1日

ここに『ガールガール』の広告が入っていた情報と、それ以前に他社さん広告に山田節子先生の名前が表記されていた情報を追記します。

77号 1964(昭和39)年1月12日 広告なし
78号 1964(昭和39)年3月12日
──   1964(昭和39)年4月(未発行)
──   1964(昭和39)年5月(未発行)
79号 1964(昭和39)年6月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』no.54
80号 1964(昭和39)年7月12日 広告なし
──   1964(昭和39)年8月(未発行)
81号 1964(昭和39)年9月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』9月号
82号 1964(昭和39)年10月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』10月号
83号 1964(昭和39)年11月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』11月号
── 1964(昭和39)年12月(未発行)

84号 1965(昭和40)年1月12日 広告なし
85号 1965(昭和40)年2月12日 広告なし
──   1965(昭和40)年3月(未発行)
86号 1965(昭和40)年4月12日 広告なし
──   1965(昭和40)年5月(未発行)
87号 1965(昭和40)年6月12日 ガールガール No.4
──   1965(昭和40)年7月(未発行)
──   1965(昭和40)年8月(未発行)
88号 1965(昭和40)年9月1日 ガールガール No.6
89号 1965(昭和40)年10月1日
90号 1965(昭和40)年11月1日
91号 1965(昭和40)年12月1日

92号 1966(昭和41)1月1日
──   1966(昭和40)年2月(未発行)
──   1966(昭和40)年3月(未発行)
93号 1966(昭和41)4月1日

『ガールガール』の後に別作品の情報が掲載されている分を追記します。さすがに広告なしは煩雑になってきたので細字にします。

77号 1964(昭和39)年1月12日 広告なし
78号 1964(昭和39)年3月12日
──   1964(昭和39)年4月(未発行)
──   1964(昭和39)年5月(未発行)
79号 1964(昭和39)年6月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』no.54
80号 1964(昭和39)年7月12日 広告なし
──   1964(昭和39)年8月(未発行)
81号 1964(昭和39)年9月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』9月号
82号 1964(昭和39)年10月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』10月号
83号 1964(昭和39)年11月12日 山田節子、若木書房『ゆめ』11月号
── 1964(昭和39)年12月(未発行)

84号 1965(昭和40)年1月12日 広告なし
85号 1965(昭和40)年2月12日 広告なし
──   1965(昭和40)年3月(未発行)
86号 1965(昭和40)年4月12日 広告なし
──   1965(昭和40)年5月(未発行)
87号 1965(昭和40)年6月12日 ガールガール No.4
──   1965(昭和40)年7月(未発行)
──   1965(昭和40)年8月(未発行)
88号 1965(昭和40)年9月1日 ガールガール No.6
89号 1965(昭和40)年10月1日 山田節子「ア子行状記1」
90号 1965(昭和40)年11月1日 山田節子 ア子行状記シリーズ2『ラーメンいっちょ』、さいとうゆずる 純愛シリーズ2「死人の魂」
91号 1965(昭和40)年12月1日 山田節子 アコ行状記シリーズ2「アコ先生」、さいとうゆずる 純愛シリーズ2「死人の魂」

92号 1966(昭和41)1月1日 山田節子 「アコ先生」、さいとうゆずる 青い夢シリーズ2「死人の魂」
──   1966(昭和40)年2月(未発行)
──   1966(昭和40)年3月(未発行)
93号 1966(昭和41)4月1日 山田節子 アコ行状記シリーズ2「おじようさんとおじようさん」 さいとう・ゆずる 青い夢シリーズ4「コロコロ、ろこ」

『ガールガール』No.6の翌月にもう『ア子行状記1』の広告が出ていて、次号ですぐ「ア子行状記シリーズ2『ラーメンいっちょ』」と出ているので、多分1巻は刊行されていると思います。次の仕事に移っているので、『ガールガール』No.7は刊行されなかっただろうと思います。
山田先生のアコ行状記シリーズ、さいとう・ゆずる先生の青い夢シリーズ(最初は純愛シリーズと書かれていますが、とりあえず後の方に合わせます)と単独で連載されているので、共著は一時的なものとして考えられていたのかもしれません。(さいとう先生のペンネーム『さいとうゆずる』『さいとう・ゆずる』先生の表記ゆれは広告のデータに準拠しています)

そして『ガールガール』刊行前、山田先生は若木書房『ゆめ』に毎月作品が載っています。つまり貸本は毎月新刊が出る環境ということです。何日付けかというのを把握するのは不可能なので、とりあえず非現実的ではありますが、この全国貸本新聞の当初の発売日12日に全ての本が刊行される、執筆時期は前月と見なして考えてみます。

(さいとうプロの広告で同じ作品の名前が何度か出ていることを見ると、実際には出せなかった月もあるはずですが、そのへんはひとまず考えないでおきます)

貸本屋に本が並ぶのは毎月12日として、本が出しうるのは1964年12月、1965年1月、2月、3月、4月、5月の6回です。そのうちの3回に本を出さねばなりません。

シリーズ連載なので多少のインターバルは持つだろうと思うので、多分ないでしょうがこの前半分にびっちり突っ込んだとしたら、1964年12月、1965年1月、2月に刊行。後半分に突っ込めば1965年3月、4月、5月みたいな感じになるのでしょう。
一番ゆったりとしたスケジュールを想定すると、1965年1月にNo.1刊行、No.2が3月刊行、No.3が5月刊行あたりでしょうか。
(多分この時期には同時刊行などはないと思うので、そこは想定しませんでした)
頭だけで考えるとこういう感じになりました。

この段階で調整をかけます。
『ガールガール』No.3の次回予告には珍しく月が書かれていて、No.4は「発売予定 5月中旬」になっています。(館山所持の巻はNo.1、No.3、No.4、No.5で、残念ながら現在2巻、6巻は持っていません。No.2を持っていればもう少し絞り込めたと思います)
つまり、No.3が5月に刊行されてはいないはずです。そうなってくると刊行月がもっと絞れてきます。

そしてもう一冊No.5が残ります。この本が出しうるのは7月、8月のいずれかになります。

とりあえず推測したデータも含めた上でこんな感じだろうと思います。

No.1 1964年12月~1965年2月刊行
No.2 1965年1月~3月刊行
No.3 1965年2月~4月刊行
No.4 1965年6月
No.5 1965年7月~8月
No.6 1965年9月(最終巻)

今回の記事は2巻が入手できたタイミングで書き直される可能性があります。
そして過去の記事で『ガールガールミステリー』と書かれている表記を今から『ガールガール』と修正してきます。よろしくお願いします。



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