平等と公平と差別と区別
毎朝焼き立てのパンを売るお店があるとします。
そのお店は朝7時に開店します。
しかし評判のお店なので朝6時台にはすでに行列ができています。
頑張って早起きして人より早く並べば、それだけ焼き立てのパンが手に入ります。遅く行けば、冷めたパンしか手に入りません。これは「公平」です。
一方で、頑張って早起きして一番乗りで並んでも、のんびりお昼近くにお店に行っても、結果は同じ、皆ひとしなみに焼き立てのパンを売る、これが「平等」です。
外国人のあなたには冷めたパンしか売りません、あなたは日本人だから焼き立てのパンを売ります、これは「差別」です。
小麦粉アレルギーの人には小麦粉で作ったパンは売りません。その代わりに米粉を使ったパンを売ります、これは「区別」です。
最後の区別は別として、上3つの中だと「公平」が一番いいような気がしますが、この「公平性」というのも完璧に保つことが難しいです。
家がパン屋に近い人もいれば、すごく遠い人もいます。車を持っていて早く行ける人もいれば、歩きしかない人もいます。また要素の中には持って生まれてしまったもので、自分の努力によって変えられないものが含まれることもあります。
つまり、自分が人より焼き立てのパンを手に入れられたからといって、それは単純に「人より早起きという努力の量が多かったからだ」とは言えないと思うのです。
世の中の競争すべてにおいて、完璧な公平性を保つのは不可能に近いけど、是正できるものはできるだけ是正していけたらいいよね、というのが時代が進むにつれての動きかと思います。
公平=不平等 不公平=平等
「公平」とはすなわち「不平等」、つまり「差がある」状態であり、更には「その差を認めた上で同じにする」ことだと思います。
しかし「差があるのに同じにする」ことに抵抗を感じる人も出てくるのではないでしょうか。
例えば(古めかしい例ですが)、重たい荷物を運ぶ仕事と、お茶を淹れる仕事が同時に発生したとします。そこに男女2人がいます。2人は同じ給料です(ここでは、男性が女性より細身で体力がないとか、女性がプロレスラー並みの肉体の持ち主といった可能性は抜きにします。あくまで一般的な男女です。またその他の仕事はまったく同じと仮定します)。
適材適所で言えば、男性が重たい荷物を運び、女性がお茶を淹れるのが自然な役割分担でしょう。しかし毎日重たい荷物を運び続ける男性は、自分より楽なお茶を淹れる仕事の女性と自分の給料が同じであることに不満を持つかもしれません。しかしこれは「不平等」ですが「公平」です。
男女差で言えばもっと決定的なのは、妊娠出産です。これは女性にしかできないことです。
女性は産休育休、人によっては生理休暇なども必要になりますが(=男性との差)、その上でキャリア形成の機会などは男性と同じにする(男女に差を設けてはいけない)、または男性も女性と同じく育児休暇を取る、といったことも、「差(不平等)を認めた上での公平」の例だと思います。
しかしこれも、妊娠出産する女性は色々とカバーされることが多いのに、そうじゃない人と同じ待遇・機会はおかしいのではないかという反発、もしくは女性に対する配慮・カバーを"優遇"と取る向きが、いまだ世の中にはあると思います。
平等こそが差別?
前提に差があるのに同じ(平等)に扱って結果だけを見ることが、「差別」ではないかと思います。
男女を平等に扱う(「平等」なのだから配慮はない)→妊娠出産がある女性はどうしても男性と同じ結果は出せない→だから女性は採用・昇進しにくい、又は社会参加やキャリアアップを諦めてしまう・・・など。
配慮をずるいと感じる、差を本人の努力不足と見るなども。
まずは差があることを認めることが公平の第一歩であると思います。
以上、
平等、公平、差別、区別、言葉や概念が似ていて非常に混同しやすいですが、自分なりの定義、見解を書いてみました。が、論点がだんだんとズレてきました(そして最後が尻すぼみなのは、もう書けなくなってきたからです)。
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