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修業が足りませぬ
久しぶりに簡単なプログラミングを行った。
仕事としてシステム開発を請け負うことはもう卒業したのだが、自分の作業がちょっと楽になるようにプログラムを組むことはあるし、web制作にしてもフォームの処理やら外部処理やら、なんだかんだ言ってプログラミングとは縁が切れない。
そしてまた、プログラミングの知識はないよりあった方が良い。
自分の仕事の効率化という意味だけではなく、たとえば何らかのアプリに対して「こういう機能があるはず」という想像はできるし、時々ニュースで報道されるようなシステムの不具合に関しても”寛容”でいられる。
システム開発というのは見ているよりやる方がはるかにしんどくて、ついでにいうと完成した後の方がもっとしんどかったりする。
エンジニアの皆さん、お疲れ様です。
さて、その久々に書いたプログラム、”作業を楽にしたい”という思いから、やろうとしていることは明確だったが、肝心のロジックを考えずに行き当たりばったりで書いてしまった。
料理でいうなら、「パスタが食べたい(作業を楽にしたい)」「パスタを作ろう(やろうとしてるのはこれ)」はわかっているのに、「味付け・具材の選定・切り方・下処理の仕方など(ロジック)」を何も決めていなかったのだ。
するとどうなるか。
とりあえず完成することはする。ところが皿に盛り付けられた料理はなんだが見栄えのしない、あまり美味しそうではないものが出来上がってしまう。
私の書いたプログラムは、目的通り動くものの”エレガントさ”に欠けていた。
プログラミングにおけるエレガントさというのは、無駄な処理がなく、理にかなっていて、見やすく、あとで修正が容易になるものだ。
そういうものは”見やすさ”とは別の次元で”美しい”。
私のそれは美しさとは対極の出来具合であった。
あまり時間をかけるべき仕事ではないし、自分が使うのだから不具合があればその都度直せばいいのだが、元エンジニアが書くプログラムがこれで良いのだろうか。
私は機能美や理路整然としたものが好きである。
実は文章を書く時も意外と気にしている。
それとは程遠い、私の作品…
修業が足りませぬ。
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