老婆の戯言
老婆心ながら、あるYouTubeの動画についての誤りを指摘させていただいた。てっきり、その分野のインフルエンサーが制作した動画だと思っていたので「これだからインフルエンサーはあてにならないな」と思った。すぐに発信者からお礼の返信が入ったが、今のところ説明欄にて補足はされていない。
インフルエンサーがどの程度の知識と技量をもって世に情報提供をしているかわからないが、私はそもそもその手の人たちにあまり良い印象を持ってはいない。そんな人たちばかりではないと信じたいが、知識や情報が薄っぺらいように感じる。
この記事を書くために、もう一度その動画を確認して驚いた。
動画の発信者はその業界における名の知れた業者の”中の人”であった。知識や情報が薄っぺらいどころか間違っている。しかもプロが…だ。
確かに誤りは瑣末な部分であり、そのまま通り過ぎても本筋には関係のない話かもしれないが、間違ったまま情報が流れることの恐ろしさを彼ら・彼女たちは知らないのだろうか。
私はnoteに記事を書く際に、少しでもあやふやなことは調べて書くようにしている。例えば冒頭に書いた「老婆心」についても、使い方が間違えていないか念のために意味を調べているし、同音異義語を使う際も確認している。もちろん人間だから間違いに気づかないこともあるし、過去の記事を読んで、誤字脱字や言葉の誤りを発見することもある。ちょっとこれは…と思う時はすぐに(こっそり)訂正する場合もある。
ネットの世界で怖いのは、元ネタを消しても次から次へと引用されていくデジタルタトゥーだ。良いことが後世まで残るならいいが、悪いことも残っていく。むしろ悪いことの方が長く長く残っていくだろう。
それを鑑みると、誰にでも間違いはあるとは言え、間違っていることに気づいてもそのまま放置することは、間違いを容認し、自らも間違いの拡散に加担することにほかならない。
その動画内の瑣末な間違いも、人は特に気にならないかもしれないが見る人がみればすぐにわかる。間違いを拡散することも恐ろしいが、自分たちや所属している企業・団体までもが”その程度”と評価されるのもやはり恐ろしい。
しかしながら、些細なことに拘り、老婆心ながら間違いを訂正しないと気が済まない私のような人は、きっと煙たがられるのだろう。
「老婆」にはそういうニュアンスが感じられる。
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