秋の夕暮れの風
新宿からの帰り、駅のホームで電車を待っていた時にとても不思議な気持ちになった。それは以前も同じように感じていたことで、今になっては当たり前すぎて、すっかり忘れていたことだった。
「電車」という箱の中にポンと乗り込めば、勝手に行きたいところに連れてってくれる。しかし、自家用車でもレンタカーでも、公共交通機関以外の交通手段の場合は、”ここに行く”と自らの意思を持っていなければ、目的地にはたどり着かない。
電車にはただ乗りさえすれば良いのだ。
無言で乗り込む人、おしゃべりをしながら乗り込む人、慌てて乗り込む人、足元を確認しながらゆっくり乗り込む人、様々な人が箱の中に入っていき、目的地で勝手に降りて行く。それはまるでベルトコンベアに乗せられた発泡スチロールのトレイに、パート従業員が無表情で次々と惣菜を入れていく様に似ているなと思った。
そしてまた、駅員さんのサポートを受けながら電車に乗る私も、惣菜の1つとなって、トレイに乗せられる。
バスもやはり乗り込めば目的地まで自動で連れて行ってくれるが、バスの場合は人為的要素を強く感じる。それは乗客が運転手が目視でき、彼または彼女のハンドルさばきやブレーキのタイミング、もしくは時々彼・彼女らが発する言葉などによって、それが人によって動かされていることを実感するからだろう。
しかし電車の場合は先頭車両に行かなければ運転士の姿は見えないし、ハンドルさばきやブレーキのタイミングなどは、運転士の誤差にあまり左右されないし、まして運転士が言葉を発することなどはないから、もしその電車が途中から自動運転になったとしても、おそらく気がつかない。
あれこれ思いめぐらしている間に目的地まであと少しのところまできた。そのとき、普段聞き慣れないアナウンスを聞いた。それは車掌のアナウンスであったが、まもなく到着するというアナウンスの後に、「まだまだ暑さが続くので、熱中症に気をつけるように」という粋なメッセージであった。
乗客のうち、彼のアナウンスにじっくり耳を傾けたものは一体どれぐらいいただろう。
私はその時に、電車が人によって動かされていることを改めて体感した。
彼のアナウンスは、残暑の中に僅かに感じる涼しい秋の夕暮れの風のようだった。
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