明日できることは明日やれ
社会人になりたての頃だったか、それからしばらくしてフリーランスになった頃だったか、亡き父はことあるごとに私にこう言った。
「明日できることは、明日やれ」
この言葉を聞いた時に、私はこう思ったのだ。
「今日やってしまえば明日楽じゃない?」
勤勉な私は、今日出来る限りやってしまい、明日楽をした方が良いじゃないかと思っていた。
ところが最近、父の言う意味がわかってきたような気がする。
ひとつは、根を詰めて無理をしないこと。
私のような性格は、サボることに罪悪感を覚える。何かしていないと堕落したような人間だと思ってしまう。だから、無理をせず、自分の最適なペースを守れということ。
もうひとつは、たとえ今日中に明日の分の仕事を終えても、明日は明日で仕事はやってくる。明日は一向に楽にならない。いつまで経っても忙しいまま。
「忙しい」は「心」を「亡」くす。
過剰に忙しくしてはならないということ。
父はもしかしたら違う意味で言っていたのかもしれず、その真意を確かめることはできないが、私は父の言葉をこのように自分に都合の良いように解釈し、やることが多い日にはこの言葉を思い出している。
しかし、そういう父だって、日が暮れても日曜大工をしていた日があった。
父も勤勉だった。