敬語とため口
若い人同士は初対面からため口である。
”である”と言いきってしまったが、そんなことはないはず。だが、私が若い頃はたいていそうだった。それほど歳の近い相手に、敬語を使う方が野暮ではないか。
それを引き摺っているわけではないが、私は敬語とため口を適当に混ぜて話す。もちろん相手や立場や、話題、その場の雰囲気もあるので、敬語とため口の割合をその都度調節しながら話しているつもりである。ため口ばかりでは失礼だし、かといって敬語ばかりでは心理的距離が縮まらない感じがするのだ。
ところが、相手はそうではないことが多くなった。相手の敬語率の方が圧倒的に多い。
若い頃、年配者が若い人に「です・ます」ではなく「だよね」のような感じでラフに、けれども威張ったふうでなく、おじいちゃんやおばあちゃんが孫に話しかけるような柔らかい雰囲気を持って会話しているのを聞いて良いなぁと思っていた。若かった私は敬語を使うことの方が多く、あんなふうに若い人に気楽に優しく話しかけたかった。
さすがにまだおじいちゃんやおばあちゃんの年齢ではないが、いざそういう状況なり、裏を返せば自分が明らかに年上に見られているということがわかり、多少凹む。
実際年上なのだから、相手からしてみれば敬意を持って敬語を使ってくれているのはわかるが、相手と同じノリでいたい私としては「はぁ、そうなのですか…」という気分である。
そうか、私はもうため口を使ってくれない年代なのだ。
ちゃん付けで呼ばれることもほとんどなくなってしまった。
かなぴぃ…
私と接してくれる皆さん、私を話す時はため口で良いんですよ。ちゃん付けでも良いんですよ。
遠慮しないで…ね!(泣)