いまここに在る

なんだか数年前の自分だったらこう考えるだろうな
ということを、今は考えなくなっていて

この間の氣づきも結構影響力大で

「感覚が、フォーカスするところが、だいぶ変わったな〜」

と思います。


5秒後の自分は生きていないかもしれない。

5秒後、自分が生きている保証なんて一切ない。

心臓発作とか くも膜下出血みたいなので
一瞬でお空にかえってしまうかもしれない。

これ、原因はその人によって違ったとしても
1秒先はわからないって、本当は誰にでもあてはまること。

実はなんの保証もないのに「明日がある」って思っている。

考えようによっては、人間てお氣楽で、
結構な綱渡りをしているのを知らないだけなのです(自分が綱の上にいると知ったら怖くて歩けなくなるんじゃないかしらん 笑)




9歳ぐらいのとき、わたしは数字に興味があって
1から9までの数字でどれが好きかなあ?とか
自分にとってのラッキーナンバーってなにかなあ?(なににしようかな?)
とか、ひとり遊びのような空想にふけっている子でした(笑)

ある日、ぼんやりと14という数字が氣になって
「この数字は何かわたしの人生で重要な数字な氣がするから覚えておこう」
と思いました。

すると、結婚した元旦那さんは14日生まれで、
確かに重要な数字だったなと思いました(笑)


そのころはほかに、
「わたしは〇〇歳か〇〇歳ぐらいに死ぬだろう」
と感じていたのですが、それは誰にも言いませんでした。

当時はずいぶん先すぎて、まったくイメージできませんでしたが
あと数年でその年齢になります。

そんなこととっくに忘れていましたが、
数年前ふと思い出してから、たまにこうして意識することがあります。

もしそれが単純に空想の話で、
この先30年も生きる可能性だって全然あるとは思っているけれど(笑)

元旦那さんの誕生日みたく、意味のある数字であるなら
わたしそんなに長くはないんだよな〜(笑)


そういう意味では、「いつまでもこの人生が続く」という感覚もなくて
「いつかこの人生の幕を閉じるときがくるのだな」とか
「いつか、お空にかえって、あっちの仲間に会ったりするんだな」
なんて考えています。

いずれにしたって魂の自分が決めた「そのとき」にそうなるのだろうから
わたしはそれに従いたい。

この世界とお別れするときは感謝でさよならしたい。

もう人生 結構いろいろ体験して、
やりたいこともやってきて満足しているので、
毎日楽しくはあるけれど
「これをやらなければ死ねない」
っていうほどのものも 今はないし。。


いまのわたしは「存在」を楽しめるようになっているので、
毎瞬を味わって生きることや、この命を全うすることが大事だなと思っています。

自分の感覚が変わってしまったからか、
こんなことを思っているからか、
「5秒後に死ぬかもしれない」っていうのは
わたしにとってはなかなかリアル感があります。
(それがリアル感がないかたは、○日後、とか○年後とか、自分でリアル感が持てる期間にしたらいいと思うけれども)


死はタブー視されることが多いですが、観念によってタブー視されているというだけなので、動物界や植物界、宇宙存在などは、死に対しての感覚が人間とはちょっと違います。

しかしながら
「死(終わり)がある」という感覚をもつことで
その感覚が「今ここにいる」という感覚を呼び覚ましてくれるというか
自分の意識が過去にも未来にも行かずに「いまここ」にFIXされるというメリットもあると思います。

でも本当のところ、いつもいつも「死ぬ」って意識してないよね😂
「【今ここ】しかない」という意識はするけれど、わたしも死ぬことはわざわざ意識してない(笑)

実は宇宙からみたら、毎瞬自分は違う自分で
5秒後の自分はもう5秒前の自分とは同じではない、
ということがいわれています。

量子力学でも同じことが言われているとおもいます。

ということは、5秒後、同じ自分は「いない」ということでもありますよね。


「わたしたちは【いまここ】にしか存在していない」

「過去も未来も幻想(時間というのがそもそも錯覚)」

というのと、「5秒後(1秒後でもいい)に死ぬかもしれない(から今を生きる)」っていうのと
本質的には同じか、かなり近いことを言っている氣がします。


一瞬一瞬 死んでは生まれてをくりかえしている感じ。
素粒子が循環している感じ。


やっぱりこのイメージ。



この「わたし」という「カタチ」が保たれているように「感じる」だけで
実際には「同じ」ってことではないし、同じカタチ、瞬間は2度とない。

人間にはホメオスタシスというのがあって
常に「同じものが同じようにそこにあるかのように」認識するよう、
脳が自動調整しているから
「わたしが同じカタチで在り続けている」ように「感じている」だけで、
「実際には毎瞬違う自分が形成されている(毎瞬新しい自分)」
というのが繰り返されているという感じ。

それをやっているのも結局は自分(源の自分)だったりするので、
みんなただ「存在している」だけで、本当はすでにすごいことをしているんだよ(笑)
「存在している」って奇跡なんだよ(笑)
あなたもわたしも当たり前に奇跡を起こし続けているってことでもあるよね(笑)


本当はみんな、なにもしていなくても「今に生きている」のだけれど
「過去と未来という【時間】がある」という観念があることと
過去や未来に自分を引き止めてしまう観念や記憶があることで
意識があっちこっちに行ってしまうということなんだよね。


自分の意識が本来の「座」みたいなところについたら、
意識は自然と「今ここ」にいるようになるんだと思う。

本当は、「今ここ」にいるのが人間の自然な姿だから、
「自然な自分」になると
今ここにいるほか、いるところがなくなるんだと思う。笑

だからわざわざ「今ここにいなくちゃ!」とか思う必要もなくて
自然な自分でいるだけで、「今ここ」が自分の定位置になるという感じなのね。

「コントロール」というのが、それを逆方向に向かわせるから
自然な自分でいるだけでよくて。

別の言いかたをすると、
リラックス、ありのまま(ありのままの自分を全肯定、全受容する)
でいいってことなんだよね。

人間って本来そんなにたくさん「すべきこと」ってなくて
ただただ自然な自分であれば、すべては流れの中にまるくおさまるって感じなんだと思うな〜

それが人間の本来の生きかただと思うし、
すでに他の生命体(動物、植物、その他もろもろ)はそれをちゃんとお手本として見せてくれている。
その循環の輪に戻るだけ。
いわゆるアセンションというのはそういうこと。


そこに各自がどうやって行くのかが、
これからの時代を楽しく生きれるかどうかのポイントになるのです。


わたしが「本来の自分に戻る、立ち返る」ってことを提唱しているのも、
自我とハイヤーセルフの統合のサポートをすることが自分の生まれてきた理由(ワクワク)のひとつだったりするからです。

そういう世界ができたら、
「あ、もう、やることやって満足だわ」って、
本当にかえっちゃうかもしれない😇

ということは、逆算すると、
わたしが天に帰るのが本当に○年後であるなら、
○年後、地球は素敵な世界になっている可能性がかなり大きいとも言える(笑)


自分とどのくらい統合しているかで、
そこへいく間の体験の幅が大きくなるのだと思います。

自我とハイヤーセルフの乖離が大きいほど、
そこを統合させるためにいろいろなコントラストを体験するだろうと思うので、
楽しくそこへ行きたいなら(コントラストを小さくしたいなら)、やはり、統合は大事だと思うな〜




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