「働き始め」に見られる言語社会化
heldioとは?
・慶應義塾大学文学部の堀田隆一先生が「英語史をお茶の間に」をモットーにVoicyで毎朝6時に配信されているラジオ
helwa(英語史の輪)とは?
・heldioに上乗せして配信されているプレミアムリスナー限定配信チャンネル
・helwaリスナーのことをヘルメイトと呼ぶ
・ヘルメイト間では常に活発なコミュニケーションが行われており、言葉に関心を寄せるものにとっては至福のコミュニティといえる
言語社会化への興味
heldioガイドの随所で記述してきたとおり、heldioでは堀田先生の一人語りだけでなく、英語史や英語学を専門とされる先生方との対談を聴くことができるのが魅力の1つである。おかげさまで、言語の見方=言葉のどの側面にどのように迫るかというアプローチ方法は実に多様であることがわかった。何にでも関心を持つ私は、新しいことを知るたびに広く浅く首を突っ込んでしまうのだが、特に惹きつけられたものの中に「言語社会化」がある。こちらはheldioにて3Msのお一人としてお馴染みの尾崎萌子先生が研究されている領域である。3Msと尾崎先生についてはごく簡単にではあるが、〜heldioガイド〜【P】プシュ!かんぱ〜いにて触れているので参照されたい。
尾崎先生は主に絵本の読み聞かせ方の日米比較をとおして幼少期の言語社会化についてご研究されているが、新しい社会に入って行く機会は一生あるし、大人の言語社会化の事例を知りたいなと頭の片隅に置いていたところ、2023年にひつじ書房から出版された『日本における言語社会化ハンドブック』を見つけた。なんともよだれが出るような本であるが、目次を見ただけでニンマリとしてしまう。
第9章 新人は何も知らない:日本の会社における「社会人」への言語社会化 クック峯岸治子著
第10章 国内企業と外国人留学生の採用:就職のための「キャリア教育」に見える言語社会化
池田佳子著
こ、これは筆者の関心のドンピシャではないか。
働く場における言語社会化研究
データ入手が困難であるため、職場における言語社会化研究、取り分け日本の職場を対象にした研究はこれまでにほとんどなされていないというが、同書では上述のとおり2つの事例を読むことができる。ここでは簡単に第9章と第10章の内容を概観したうえで、今後新入社員の言語社会化についてどのような点が研究ネタになりそうか考えてみた。
第9章
・東京の会社2社の新入社員研修をデータとし、新参者(新入社員)はどのような明示的言語社会化を経験するのか、またその背景にある言語イデオロギーについて調査。
・日本では学生と社会人は非連続的なものと捉えられ、別個のアイデンティティを獲得することが求められている。
・何も知らない新人というアイデンティティの構築を行った後、社会化人としての新しい知識を教えるという方法が取られる。→新入社員研修が正当化される。
(例)研修講師により「新人で何も知らない人たち」や「全部教えてもらわなきゃいけない立場」といった新人の定義づけがなされる。
電話の受け方への駄目だし=これまで当たり前に行ってきた行為をエキスパートに批判される→日常生活からの疎外を経験し、社会人としての新しいアイデンティティ獲得につながる。
・ただし新入社員は全ての研修内容を受動的に受け入れるわけではない。講師の意図した枠組みを理解しないことや、自分自身の見解を主張することも見受けられる。
第9章で扱われていた2社の新入社員研修は、筆者自身の経験と照らして「わかるわかる」と思われるものであった。しかし会社は星の数ほどあると言うからには、共通部分は多いかもしれないものの、今回のケースがどれほど一般的なのか横軸を広げて見てみたいものだ。そしてより面白そうなのは、同じ会社での経年変化である。(新)社会人として求められる能力そのもの、そして若年世代への望ましい指導方法に関するスタンダードは時代と共に移り変わることが想定される。そのような外的要因が研修の在り方にどのような影響を与えるのか、縦軸での変化を追った研究が待たれる。
第10章
・日本国内における2種類の外国人留学生向けキャリア教育=講義形式の座学と企業⇔留学生間でディスカッションと発表を行うフォーカス・グループを対象とし、コミュニケーション形式の相違に基づく異なる言語社会化のプロセスを調査。
・大学在学中に実践される座学のキャリア教育は、組織への参入前の「予期的社会化」として位置付けられる。
・座学では熟練者(教師)と新参者(就活中の留学生)の立場が固定しており、主に教師側が一方的な語りを行ったため、提示された価値観や暗黙知は聞き手によりそのまま受け入れられた。
・フォーカス・グループでは発表時の進行を務めた司会者、企業側、留学生という参加者全員による双方向性のコミュニケーションの中で日本企業の慣習や外国人材を再定義する場面が見られた。
・座学とフォーカス・グループは留学生にとって異なるキャリア教育の経験となっている。
昨今の新卒者向け就職活動の時期や内容についてあまり明るくはないのだが、インターンシップへの参加が必須になりつつあると聞いたことがある。従来から採用説明会や大学のキャリア系科目等において入社前に社会化される場はあったと言えるが、インターンシップでは一方向性の教示のみならず、熟練者と新参者の間での対話が増え、さまざまな交渉や調整が行われる場となるだろう。
新人の入社前の経験が変わりつつあるのであれば、それに伴い入社後の研修の在り方も変容を受ける可能性があるのだろうか。入社前後の一連のプロセスとして捉えてみたい。
働き始めに見られる言語社会化3段階
職場での言語社会化というのは、働き続けている限り性質を変えながら見られるものであると思うが、以上を踏まえると、ごく初期の段階=いわゆる「社会人」になる過程は3段階に分けられるのではないか。それぞれの段階において議論できそうな点を挙げてみよう。
①在学中(キャリア教育や選考期間)
第10章のキャリア教育でも見られたとおり、社会人としての言語社会化プロセスは、入社前から始まっていると言えるだろう。その中で例えばエントリーシートや面接の質問項目自体が、一方向的なメッセージであり、直接的に働きかける力は弱いものの言語社会化の手段となっているのではないか。もっともオープンなものとしては、「あなたは学生と社会人にはどのような違いがあると思いますか」といった質問が想定されるが、これは学生と社会人は異なるという意識を持たせることになる。また、「〜な場合、あなたは社会人としてどのように行動しますか」という項目からも、これまでの自分=学生とは異なる振る舞いが求められていることが伝わるだろう。
職場における言語社会化はデータを得にくいという事情があり研究が進んでいないというが、エントリーシートであればインターネット上で公開されていることも多くアクセスが可能だ。これはチャンスである。明示的・非明示的にどのような言語社会化が行われているか探ってみたい。業界や企業の規模等に関係なく共通する点と企業独自の価値観を反映している点があるだろうか。また1つやりたいことが見つかってしまったが、幸せなことである。
②研修期間
入社後の教育過程は会社により多様であるだろうが、ここでは実務を始める前に一定の研修期間が設けられる場合に話を絞る。研修と一口に言っても、人事課などの自社社員が担当する場合と外部機関が実施している新人向け研修を受講させるパターンに大きく2分できるだろう。もちろん併用も考えられる。両者では教育者が社内もしくは社外の人間であるという差があるため、前者の場合は一般的な社会人としてだけでなく、自社社員としての社会化という側面も研修内容に関わらず常に意識無意識のうちに含まれることになるだろう。このような教育者の立場の違いは、社会化の過程で見られる言葉遣いやコミュニケーションの取り方、新人側の受け止め方にどのような差異をもたらすだろうか。
会社によっては試用期間を導入しているケースもあるが、その間は試用期間後の本採用となった社員とはまた別のアイデンティティ=半人前の社会人を形成されることも考えられる。筆者の職場は3か月間が試用期間として定められているが、3か月が経った際、人事課の研修担当者から「おめでとうございます。これからは皆さんも私たちと同じ社員として、一緒に働けることを楽しみにしています。」という主旨のメッセージをいただいた(もう何年も前のことのため、細かな部分までは正確ではないことをご了承いただきたい)。この時に感じたのは、「あっ、私たちはこれまで区別されていたのね。」ということである。研修期間を思い起こしてみると、「皆さんはまだ研修/試用期間中である」と何度か(も)言われたと記憶しているが、このような発言は新人がまだ社会人として途上の半人前の身分であるというアイデンティティの獲得に一役買っているだろう。
③配属後
この段階は1番データ入手が難しいだろうが、ぜひとも知りたい過程である。研修期間中は「講師」と「受講者」いう明確な立場差が見られたが、配属後は表面的には同じ部署の社員となり、質量ともに研修時とは異なる社会化の展開が予想される。研修を終え、仮に本採用の身分になったとしても配属後は「汎用的な社会人」に加え「自社社員」としての言語社会化が目立つようになるだろうか。取り分け後者は机に向かっている業務時間中のみならず、例えば給湯室での雑談からお昼休憩時といったインフォーマルな形で学ぶことも多いだろう。
筆者の職場では「新人は全社員みんなに見られている、だから気を付けなさい」ということを繰り返し言われた。この言葉は新人の特異性や新人の振る舞いが注目されることを強調し、組織内での立ち位置を認識させる働きをしていると言えるだろう。
また果たして配属後はいつ頃まで、「新人」として扱われるのだろうか。1か月、3か月、半年後と社員同士の関わり合い方の変容を追ってみたい。
職場における言語社会化について、的外れなことは承知の上で長々と綴ってしまった。研究者がデータ収集のために会社に入りにくいのはよくわかるが、うちの職場ならどうぞどうぞお越しくださいと思ってしまう(何の権限もないけれど)。それか周囲を観察して勝手に分析を進めてみようかな…
参考文献
クック峯岸治子・高田明(編). 2023.『日本における言語社会化ハンドブック』ひつじ書房.