◤タントラヨガ、始めました◢
ずっと楽しみにしていたSundariYogaのタントラヨガ講座が、先週からスタートした。
ライターとしてSundariYogaの記事を書きつつも、実は生徒として学ぶというのが本来の目的だった💦
そもそも、なんでタントラヨガなのか。
講師であるKaihoはタントラヨガの真髄は ” 体験 ” にあるというけれど、わたしのお目当ては体系的な理論の方だ。
エネルギーの体感だけがあり、それがわたしの悩みの原点だったからだ。
自分の中を蠢くコイツは何者なのかを知って飼い慣らす、それが目的なのだった。
その解明のためにYouTubeやらブログやら色々情報を漁ってきたけれど、どれもこれもわたしにはしっくりこなかった。
「性エネルギー交流が起きたのはあなたと彼がツインレイだからです」
理由であって理由でないようなそんなよくわからない理論ばかりでは、煙に巻かれた感がある。
どうして、どのように起きるのか、そんなことを書いてあるブログは見当たらなかった。
そんな風に疲れかけていたわたしは、Kaihoの講義を受けたとき、やっと出会えた、と思った。
初めて受けたのは「男性性と女性性の意義」というテーマだった。
Kaihoの日本語が堅いので、同じようなイメージの講義だと想像していたら、全然違った。
男性性と女性性をイメージする映像は、セクシャルで神聖だった。
着物を着てお茶を点てる女性や、太鼓をたたく男性や、自然の中でリラックスしている裸の女性や、お祭りに熱狂する男性や、愛し合うカップルや、たくさんのイメージが次々と映し出される。
女性なら「はんなり」とか「艶やか」とかいう言葉が降ってくる。
Kaihoが創り出したイメージの世界へ自分が溶けていった。
そして、男性性と女性性を味わった。
それだけではなかった。
男の子が男性として生まれ変わるインディアンの儀式の話。
あるいは、原子の話。
いろいろな学問を通じて、先人たちの叡智とつながり、男性性と女性性が示される。
こんな風に学ぶ方法があったのか。
すでに知っていたものたちがわたしにもう一度出会う。
わたしの世界は色を変えた。
スピリチュアルはふわっとしてなくてもよく、理論は存在していた。
Kaihoのスピリチュアルは、現実という地面に足が着いている。
わたしの学びたいスピリチュアルがここにあった。
理想が実在していたことにほっとした。
今も、同じことを感じ続けている。
Kaihoの講義を受けるたびに、感動するのだ。
自分の目の前の景色が、違って見える。
講師Kaihoの論理展開はわたしを惹きつけてやまない。
この前の " 宇宙全体を司る『共鳴の法則』" の講義でも、物理学の話だったはずなのに、いつの間にか ” 引き寄せの法則 ” のメカニズムが説明され、わたしの中でどこか腹落ちしていなかったモヤモヤが解消されていた。
そもそもモヤモヤしていたことすら忘れていたはずなのに、いつの間にかわたしのうちにあるそれが引きずり出される。
Kaihoのエネルギーは、そこにいるひとの内側に変容を促すほどに強い。
そして、Kaihoが語るタントラの世界は魅力的を通り越して、蠱惑的ですらある。
日常にある目の前のすべてが宇宙とつながっていること。
古代からの叡智が、現代科学を凌ぐこと。
色に、音に、秘められた力があること。
それぞれのエネルギーに意味があること。
目で見えている世界がほんの一部であること。
そういうことを、Kaihoは言葉だけではなく、あらゆる方法で教えてくれる。
そして、そのタントラの道の先を歩きながら、日々体現している。
こんなことを明言しているスピリチュアルを見たことがないのだ。
嘘じゃないことは、一度講義を受ければわかる。
目の前にそれを体現しているKaihoがそこにいるからだ。
(復習noteと銘打って記事を書いたので内容を知りたい方は読んでね❤️)
▼第一回はこちら▼
SundariYoga講師 Kaihoの裏話
初回の講義を受ける前に、講師であるKaihoと今後SundariYogaの記事をどうしていくか、相談していた。
わたしは、Gracefruitsとしての活動目的として「時に難解な表現に満ちたKaihoの言葉をわかりやすい日本語で伝えたい」というのがあり、講義内容をほぼテキスト化しようとしていたので、一部有料化を提案した。
けれど、Kaihoの答えは「No」だった。
タントラヨガの一番大切な部分は、「体験」にあり、noteはその「体験」を通じて学ぶタントラヨガ講座を受けてくれる人を増やすためのツールだから、たくさんの人に読んで欲しい。
そう主張するKaihoに、わたしは「でも講義部分だってものすごく価値がある。Kaihoが0から生み出したオリジナルで発明や著作のようなものだから無料にしたくない。」と抵抗してみたけれど、無駄だった。
こんなエピソードからもわかる通り、Kaihoは綺麗な人だ。
男性に ”綺麗” というのは違和感を感じるかもしれないけれど、実際にKaihoに会ったり、講義を受けたひとならきっとわかると思う。
Kaihoのエネルギーは力強くまっすぐで、純度が高く澄んでいる。そして、尊い。
柔らかい声を聞いているとその声がすーっと体に染み込んでハートが温かくなる。(コンディションによっては眠くなる。)
そしてもう一つ、優しい物腰だけでは測ることのできない、” 強さ ” や ” 芯 ” のようなものも見て取れる。
彼の中にはきっちりとラインがあるのだ。
記事だけでは伝えきれないところは他にもある。
タントラヨガの講義には、普通なら綺麗事だとしか思えない言葉や概念が出てくる。もちろん、体験として学ぶというのだから反発が生じてもいい。
けれど、Kaihoが説明すると、普段のわたしであれば反抗するはずの内容がすんなりと耳に素直に入ってきてしまう。
これは、普段のKaihoをみているからだ。
ひとつの記事を書くのに、実はけっこうな量のLineをやりとりしている。
だから更新頻度を上げられないのだ💦
わたしが記事を書き上げて連絡すると、記事の一部を引用してこれは違うとか、ここの表現はしっくりこないとかKaihoからいろんな指摘が来る。
当たり前ではあるけれど、結構細かい。
Kaihoはこだわりが強いし、感度も高い。
例えば、わたしがつい使ってしまう " 謙虚さ " と混同されがちなネガティブ表現だったり、易しい表現として提案した " 子どもっぽさ " を見逃さない。
彼は美しい日本語が好きだ。
だから、やりとりに使われる言葉は柔らかく優しいけれど、妥協しないし厳しい。
一点の曇りもなく見つめられている感じがする。
そういう時、わたしは「このひとはタントラの先生なんだな」と思う。
日々タントラを生きている彼の言葉は、講義で説得力となって現れる。
だから、一度受けてみてほしい、そんな気持ちで記事を書く。
背中で語る、みたいにKaihoはエネルギーで語る。
そのエネルギーを文章に乗せたいと思いながら書いている。
受講後の振り返り
初めての講義は、自己紹介から始まった。
これから約 1 年ご一緒する方達の言葉に耳を傾け、「タントラヨガ 」という道に足を踏み入れるそれぞれの人生に思いを馳せる。
リアル参加だけで14人いて、部屋はエネルギーに満ちていた。
そうだった、わたしも、紆余曲折の末ここにたどり着いた。
事情は違えど、同じように感じていた方がここにいる。
そんなことを思っていたら、少しずつクラスメイトとつながっていく気がした。
内容は記事に書いたから触れないけれど、どうしてヨガを行うことで自分を受け入れて仲良くなれるのか、ということがすごくおもしろかった。
音楽瞑想では、最初に牛が車をひくアジアっぽい風景が浮かんだ。
行ったこともない場所なのに、懐かしい。
麦畑や森、イメージが移り変わった後、最後は高い中国の絵に出てくるような山の上にいた。
夕焼けに照らされて、目の前の人たちを瞑想している。
また、ここに帰ってくるだろうなと思った。
これは、ずっと残るイメージだと確信する。
タントラは、優しい。
自分を見つめることは苦しさを伴う。
「なんでわたしはこうなんだろう」
そんな気持ちにとらわれる瞬間は誰にでもある。
けれど、そんな自分も認めてくれる。
Kaihoは始まりも終わりもハートだという。
そう、今日が始まりだ。
思った瞬間、ハートが跳ねた。
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