
自分とのパートナーシップ 〜 お金とパートナーシップの関係⑦
▼前回
無自覚だった怒りが表出した日のこと。
その日、友人とLINEしていた。
わたしが以前シェアしたブロックについて、自分にも同じようなブロックがあってそれが解決したからシェアしたい、というような内容だった。
こういうのが、本当にありがたい。
その夜リビングで半分うとうとしていると、急に激しい怒りが噴出した。
ボロボロ涙が出てくる。
「…ふざけんなーーーーー!!!」
自分の中の自分が暴れ出す。
それは、紛うことなく元夫への怒りだった。
どのような怒りだったかはさておき。(本筋と無関係なので省きます。)
なぜ、わたしが元夫に怒りをぶつけなかったのか。
そもそも怒りを感じられなかったのはなぜか。
そこを掘り下げていく。
夫との離婚を決意するに至った原因は、もう誰から見ても夫だった。
話し合う余地はなかった。
というか、余地を持ってはいけないと思った。
相談した相手は夫の発言に絶句して「今すぐに別れた方がいい」と言った。
けれど、そういう夫にしてしまった原因はわたしにあると思っていた。
ここからは、先日思い出した当時のわたしの無自覚だった気持ちだ。
わたしにはひとつだけ譲れないことがあった。
それはこどもたちを「かわいそうな子」にしたくないということだ。
本人たちがそう感じることも、周囲からそのように思われることもどうにか避けたいと考えていた。
だから、夫に「別れたい」とだけ言った。
夫の発言やしたこと、あるいはしなかったことやそれについてわたしがどう感じたのかなどは全く告げないままだった。
娘たちにも、「別れた」「離婚した」とは告げなかった。
ただ、「パパとは暮らさなくなった。けれど、パパはあなたたちのパパのママだから今までと何も変わらない。会いたければいつでも会える。」ことだけを丁寧に説明した。
娘たちに「自分は愛されている」となんの衒いもなく信じている無邪気な子どもでいて欲しかった。
そのためには本当の理由を娘たちに悟られるわけにはいかなかったのだ。
夫の発言や彼がしたことあるいはしなかったことは、完全に「いいパパ」から逸脱していた。
けれど、娘たちの前で彼が「いいパパ」だったことは事実だった。
わたししか知らない彼の裏側に、離婚理由はあった。
秘密と怒りを封じ込める。
さらに、表面にそれが出てこないように塗り固める。
別の気持ちや思考で覆い隠して、その怒りを感じないようにしたらしい。
「もう決まったことだ。」
「怒ってもしょうがない。」
「彼はわたしが選んだひとだ。」
「彼はパパとしてはいいひとだ。」
そう繰り返すうちにわたしはもう彼に怒ってはいけないように感じていた。
怒りを感じることすら自分に許さなかった。
怒りが表面に出ていれば、娘たちはそれを感じ取ってしまうから。
娘たちに「パパのこと、好き?」と聞かれるたびに、「うーん、普通かな。」と答え続けた。
夫を「いいパパ」でい続けさせるために、わたしは夫への怒りをなかったことにした。
それに、「わたしがわがままだったから」
という離婚理由の方が本当の理由より数十倍ましだった。
娘たちのためではない。
本当は自分のためだ。
怒りを感じれば、過去の悲しかった記憶につながってしまう。
それが怖かったのだとわかるまで、2年以上かかった。
「こどもたちを『かわいそうな子』にしたくない」
というわたしの恐れは、かつてわたしが「かわいそうな子」だった記憶からきている。
わたしは、わたし自身を父親から愛されなかった「かわいそうな子」だと思っているのだ。
なぜそう思ったか、怒りが噴出した瞬間に戻る。
噴き出た怒りはあらゆる感情を呼び起こし、連鎖する。
「わたしの大事な子どもに何してくれるのよ」とわたしは夫に怒っていた。
やがてその激しい怒りはゆらゆらと落ち着き、傍に不安と恐れが渦巻く。
「わたしだから、わたしの子どもだから愛してくれないの?」
罪悪感が押し寄せてきた。
「わたしのせいだ。わたしのせいで、この子たちをかわいそうな子にしてしまう。」
足元がぐらつく。
滑り落ちた先、檻に囚われた。
「いつもこうだ。やっぱり、わたしは愛されないんだ。」
わたしは、横坐りの体勢で天を向き泣き崩れた。
絶望だった。
一番欲しいものは、絶対に手に入らない。
闇の中で、次から次と溢れる感情の渦に身をまかせる。
こうなったら、感情を感じ切るのがすごく大事なのだ。
感情を感じるのはつらい。
目の前に何も見えない不安。
取り残されたような寂しさ。
自分に力がない悔しさ。
やるせなさ。切なさ。
体のどこかが切られるような気がする。
一番強く感じたのは、惨めさだった。
そうだ、離婚したときも思った。
このひとは、結局わたしのことを愛していなかったのだ。
だからこんなことができるのだ、と思った。
誰も、わたしを愛してない。
いたいよぅ。
夫は、ある種平等に優しいひとだった。
通りすがりの人にも、わたしにも同じように優しい。
どこかの女の子どもにも、うちの子にも同じように。
結婚してからは、それが優しいということなのか、平等ということなのかわからなくなっていた。
平等であれば正しいのだから、わたしは納得しなくてはならない。
そう考えると、言葉を呑み込むしかなかった。
思い出し怒り、というのは男性が嫌うと聞く。
こういうふうに思い出し怒りが作られるのでは、と思う。
男性の正論みたいなものに反論できない気がして言葉を飲み込んでしまうとき。
それを言ったら嫌われるのではないか、と恐れに飲み込まれてしまうとき。そのとき言ってよ、というけれど、言えないときはある。
まぁ後からその怒りをぶつけたとしてもぶつけなかったとしてもどっちにしてもうまくいかないようだから、するのもされるのもお勧めしない。
怒りに関わらず、感情というのはその瞬間にうまく出すのが正しい。
ちょうどよい重さになる、と思う。
けれど、それがまだわたしには難しい。
今回の怒りについては、出てくるまでに2年間を要した。
それでも最近はタイムラグが小さくなってきている気はする。
なぜか。
わたしはわたしに信用してもらえていない。
わたしはわたしを信用していない。
わたしの中のわたしはこう思っている。
怒っても、無視するじゃない。
怒るわたしをダメだっていうでしょ。
誰にも愛されてないなんて、恥ずかしい。
わたしは、怒る自分を許せていないし、恥ずかしい自分に耐えられない。
それが、自分なのに。
ここにもブロックがある。
怒ってはいけない。
恥ずかしいなら、いなくなりたい。
いとも簡単に自分を捨ててしまう。
大事にされないわたしは、わたしの中の底の方に沈んでいって、何も言わなくなる。
その日も、ごめんね、と言った。
全然、わかってあげられなかったね。
ひとりにして、ごめんね。
つらいのを押し付けちゃってごめん。
もう、絶対に逃げないから。
わたしは、あなたとずっと一緒にいると誓うよ。
あなたを必ずしあわせにする。
だから、だいじょうぶだよ。
号泣しながら、わたしはわたしと仲直りする。