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Photo by
nekonosara
一番欲しいものを欲しいと言えない
いちごは
最初に食べる派?
最後に食べる派?
…誰かにあげてしまう派
タイトルは先日気づいた
わたしのくせ
一番欲しいものを欲しいと言えない
どころか
欲しいと素直に思えない
たぶん欲しいを思った瞬間に
その気持ちを消す
思い当たるのは幼少期
大抵のこどもはそうだと思うのだけれど
わたしの欲しいものは
大人が思う「くだらないもの」だった
グリコのおまけとか
ハッピーセットとか
いい匂いがする消しゴムとか
学生になってからは
短すぎるスカートとか
語学留学とか
我を忘れてはしゃぐとか
そういうものは
悉くくれない親だった
というか
わざと取り上げる?くらい
我慢が美徳で
欲しがることは卑しいことだった
意味のないことにお金を使うことはできない
ただ「欲しい」は買う理由にはならない
つまり何が欲しいのかは関係がなく
「欲しい」という気持ちが悪なのだ
だから、欲しいと思わなくなった
欲しいものがあれば隠した
そうしないと奪われてしまうから
くだらない人間だと非難されるから
…というような思考が
どこかの意識の底の方に滔々と流れている
らしい
さらには
欲しいと思うことと
求めるという行動の
間にある谷は深い気がする
まぁ過去はどうでもいいのだ
この書き換えさえできれば
とは思うんだけど
求めようとするときの怖さが半端ない
それは
好きになればなるほど
もうこれ以上は無理だと思う
これはいつまで続くんだろう
自分にゆるせる範囲が広がっても
さらにその先にはまた広い世界が広がってるんだ
どこまでも