大人なんだから真剣にセックスしろって話
昨日、ガイドからのメッセージをあげて、
これは雑すぎるんじゃない?
と軽くクレームを入れたら、
続きが降りてきた
ので、タイトルの件書いてみる
なんだろう、
ガイドさんは乱暴な言葉遣いで話しているわけではない
のに、文字にすると荒ぶるのはなぜ
彼とするようになって1年
やっとわかってきたことがある
彼がわたしとの行為にいかに真摯に向き合ってくれているか
真面目に、ではない
目指す「感覚」に行き着くために
会話の中のジョーク、触れる手、視線、あらゆるすべてがあり
そこに凝縮されている
それを前戯だというひともいるかもしれない
けどわたしは逆のように思う
セックスは生きることのひとつで神聖な行為だから
そこにすべてが集約していく
彼は射精を目的としていない
いつもわたしの気持ちよさを最優先にしてくれる
それが最初はわからなくて
お返しに何かしてあげないとといつも考えていたから
落ち着かなかった
何もかも持っている彼に
わたしがしてあげられることはない
けれど、何かしてあげようとするたびに
だいじょうぶだよ
といってくれて、やっと慣れてきた
わかったこと
わたしが何もしてあげなくても彼は満たされている
彼はわたしが満たされる姿を見ていることで満たされる
だからそれだけで成立している
できるようになったこと
受け取ること
黙って愛されること
変わったこと
身体の感度
彼を疑わなくなった
身体目当てだったのはわたしの方だ
そういうことだけがしたかった
もう誰かに心を持っていかれたくはなかった
でも彼との行為は身体だけではなかった
わたしのことを大事に扱ってくれることがわかる
身体が彼に沿うように変わっていく
するとさらに彼は愛おしく感じるようだった
わたしは何もしていない
ただ、彼に応えていただけ
慈しむ、育てる、っていうことは愛なんだろうと思う
とすると、それはもう生き方ということになる
身体なのか心なのかとかはもう関係ないのかも
彼にそんなことを話したら、
「同じことだよね」
といわれた
だって分けられないでしょ、くっついてるんだから
その考え方ひとつとっても、やっぱり彼の在り方そのもので
わたしはそれに惹かれる
よく、「からだだけ」とか「からだめあて」とかいうけれど
それだったら、きもちよさをバロメーターにしたらいいかなと思う
からだめあてなのにきもちよくないとかからだを大事にしてくれないなら
そんなひと必要ないじゃんと思う
そういう意味で、
自分がどう感じているかのアンテナをピンと張っていないといけない
言葉ひとつでも引っかかったら
それだけできもちよさは半減するものだから
逆にこころでつながっているといっても
セックスに不満があるなら、やっぱりいらないと思う
だって、体は正直だから
満足していないのにその話が彼とできなくて
そもそも満足していない自分を彼がわかってくれないなら
こころがつながっているというのは欺瞞だ
わたしのことを全然見てくれないひとなんてやっぱり必要ないじゃん
今のわたしはそう思う
…っていうようなことがおっしゃりたかったのでしょうか、ガイドの方々
最後に
身体は神様がくれた聖なるギフト
生きろ
つかめ
味わえ
とのことです
なんで、こんな過激な言い方になっちゃうんだろうな