おかしい親をもったわたしはなんてかわいそうなんだろう
あまりにもひどいタイトル。
だけど、こう思えたことが、すべての始まりだったと今思う。
もし共感してくれる方がいたなら、わたしは「あなたとつながるために書いたのかもしれない」と思っていることをお伝えしたい。
そしてもし、まだ苦しい最中なら、その終わりは絶対に来ることも。
前回、自分の頭の中にいつも母がいたと書いた。
「あなたのお母さん、おかしいんじゃない。」
何度かそう言われたことがある。
心からホッとして、同時にすごく悲しくて、惨めでたまらなくなった。
それになんとこたえたのか覚えていない。
そのひとたちは、わたしに心からの愛を持ってそう言ったのだと思う。
だって、こんなことを言ってあげられる勇気が今自分の中にあるだろうか。
当時は、「毒親」なんていう言葉はなかった。
親が嫌い、とふと漏らすだけで、同世代の友達にすら「育ててくれた親に感謝もできないのか」という批判をぶつけられることは当たり前にあった。
個人的な意見というより、そういう世の中だった。
(余談だけど、尊属殺人について刑法が変わっていたのは知らなかった。)
本やブログで、「機能不全家族」「愛着障害」という言葉を知ったのは社会人になったころだ。
けれど、当時は精神科やカウンセリングは心の弱いひとが行く特別なところという考え方が一般的だったから、この言葉たちも現代でいう「毒親」のように市民権を得ていなかった。
「親が嫌い」
そんな危険思想を口には出せなかった。
たまにチラッと口に出してみれば、「子どもっぽい」とバカにされた。
「ごはんが食べられない子どももいるのに。」「子どもを捨てる親もいるのに。」「大学まで行かせてもらっておいて。」
全部、もっともだった。
でも、その前に自分自身が自分を許せなかった。
あの子のように、親を尊敬して手放しに大好きと言えたらよかったのに。
なんて、だめな子どもなんだろう。
親が嫌いと口に出さなかったところで、罪悪感は降り積もる。
限界点に達したころ、わたしの世界が崩れだした。
はじめてつきあった彼氏に言われたのが最初だった。
心臓が変なふうにドキドキする。
病院へ行くと、MRIで精密検査を勧められたけれど、母はそのお金を出すことを渋った。
「お前の親はおかしい。どう見ても俺の家より金持ちなのに。
俺の親父なら速攻で予約を取って、俺を病院に連れて行くのに。」
あぁ、それが普通なんだ。
わたし、かわいそうなんだ。
わたしは、自分をかわいそうだなんて認めたくなかったことに気づいた。
それより、いい親(=自分がおかしい)だと思い込む方がいくらか楽だった。
もうひとつ認めたくないこと。
わたしが、それでもなお母を好きで、愛されたいと願っていたということだ。
その頃から、実家に居ることが辛くなっていった。
イライラを助長するように、離婚して帰ってきた姉と子どもたちに家は占領され、わたしの居場所はもうなかった。
勉強に集中するどころか、卒業したいという意欲すら失ってきていた。
そういえば、入学式のときに言っていたかもしれない。
「大学を辞めてしまう子がいます。どうか、ご家庭でサポートをしてあげてください。」
留年して、わたしは実家を出て無理やり一人暮らしを始めた。
朝から晩までずっとバイトをして、残りの時間を彼氏と過ごした。
わたしを責めるひとはもういない。
それでも気持ちは楽にはならなくて、孤独は募り虚しさに流されて行く。
大学の最後の方はさらにめちゃくちゃだった。
就職活動なんてする余裕もなく、お金を稼ぐことに必死だった。
それでも、実家に居るよりはマシだった。
続きます。