似非エッセイ#06『その味は屈辱』
恥ずかしながら食べ物の好き嫌いがとても多い。例を挙げるのもキリがないくらい、とにかく食べれない物ばかりだ。
単純に味が苦手な物から、見た目で拒否反応が出てしまう食わず嫌い、食あたりのトラウマ、など理由は様々だ。
周りからはよくこんな事を言われる。
『食べてみれば美味しいって』
特に食わず嫌いな物について話す時によく耳にする言葉だ。
だが、自分の味覚が人よりも異常だと自覚している身としては、理屈はわかるのだが、やはり僕にとっては負け濃厚のギャンブルなのだ。
だから外食の時も、新たな挑戦は一切せず、好きな物や確実に食べれるとわかっている物しか食べない。
ひとつ勘違いされたくないのは、これだけ好き嫌いだらけの欠陥人間だが、【食】に対する感謝がないわけでは断じてない。
つまり僕は、挑戦をしてもし駄目だった時にその食べ物を残すという行為が最も嫌なのだ。
都合の良い言い訳にしか聞こえなくても本当だ。
だから、もしもの時に同席している相手が食べてくれるという確約さえあれば挑戦する時もあるし、実際にそれで食べれるようになった物も結構ある(代表は牛タン。今や大好物だ)。
だけどその確約が取れないのであれば、たとえデート中の女性からつまらない男だと思われようとも、食べ残しをしないために、大好きな豚カツやハンバーグを頼む。ちなみに僕の味覚は小学校を卒業できていない。
ただ声を大にして言いたいのは、残すのが嫌だから無難な物にしか手を出さないという事だ。
前置きが長くなったけれど、つい先日、そんなポリシーを覆すある事件が起きた。
その日は、現在書いている小説を読んでもらった友人から感想や意見をもらうために昼過ぎからカフェに行った。友人の容赦ない感想にヘコみつつも、実に有意義な時間を過ごせた。
店を出た後は二人で近所を当てもなく散歩し、陽も傾いてきたので適当な店で夕食を食べる事にした。
お互い初めて入るその店は、中華系のチェーン店だった。
中華なら間違いがない。確実に炒飯とラーメンはあるからだ。どちらも僕の大好物。
炒飯はともかくラーメンなんて不味いものに出会った事がないし、あんなもの(褒め言葉)はボンカレーと同じでどう作っても美味いのだ。
ラーメンへの絶大な信頼がある僕は、普段では絶対にやらないが、少し変化球な一品を注文した。
その名も【ピリ辛とんこつラーメン】。
出てきてまず驚いたのは、スープが全面オレンジ色だった事だ。一蘭のようなとんこつベースに少し辛味が追加されているものを想像していたので面食らう(駄洒落ではないわけでもない)。
その段階で嫌な予感はしていた。でも辛い物は元々好きだし、何よりも目の前にあるのは、どう転んでも美味しくしかならないで有名な、あの偉大なるラーメン様だ。
いただきます。
口に運ぶのとほぼ同時に箸と顎の動きが反射的に止まる。
ん?
箸を口に突っ込んだまま、もう一度目で確かめてみる。間違いなく目の前の丼にはラーメンが入っている。何かの間違いだ。もう一口噛んでみよう。
んん?
…ま、まずい……
これまでラーメンに裏切られた事などなかった。九州人である僕にとって特にとんこつラーメンは絶対正義であり、これまでも多少不満がある味はあっても、食べない、つまり拒絶という選択肢など存在してはならない聖域だった。
それでも、いや、とんこつへの強い愛があるからこそ、これ以上このラーメン(?)を口にする事が出来ない。
麺の歯応えは輪ゴムを噛んでいるみたいに不快で、スープもとんこつと辛味同士が完全にそっぽを向き合っている。
…いや、もうこの際はっきり言おう。
こんなものはラーメンではないっ!!
不健康を地でいく僕は、今でも週の半分近くはラーメンを食べている。とんこつとなれば、たとえ前評判の悪い店のものでも、安いカップ麺でももれなく美味しく完食してきた。
だけどこれだけは、もうあと一口だって食べたくない……食べられない。
こうして生まれて初めて僕は、とんこつラーメンを残すという屈辱を味わった。
今回の件で、どんなに美味しい料理でも不味くなる事はあり得るという事を学んだ。
これぞラーメン革命。とんこつ事変。
全く意味不明だがそれほどにショックが大きかったのだと察して欲しい。
だが、こんな事で僕のラーメンへの信頼は失われはしない。これからも食べ続ける。
ただ、ラーメン屋ではない店のラーメンには今後は少しだけ、注意を払おうとは思う。
ただあくまでも、たまたま僕の口に合わなかっただけで、あの店のあの味が好きでたまらない人は山ほどいるはずだし、決してその人たちを否定する気はない。と最後に付け加えておく。
そう考えると同じ味でも、捉え方や感じ方がそれぞれ違うのだから、味覚を含む人間に備わる感覚というのはなんとも不思議だ。