風日記⑥ 妖怪・倉ぼっことサステナビリティ
「PM(プロジェクトマネージャー)の仕事は、倉ぼっこみたいだ」
そう思いついたのは、つい最近のこと。2022年3月8日には、水木しげる生誕100年を迎えた。『ゲゲゲの鬼太郎』第6期が2018年に放送。水木氏の存在は今なおとても身近に感じる。
私はすっかり妖怪オタクに育ってしまった。「妖怪大百科」に載っている135種類の妖怪たちを覚えるのが楽しかった。水木氏の世界観が好きなのは、妖怪側の言い分を通じ、この地球における人類のちっぽけさ・情けなさを描いているから。画風は呪術的で、生々しい。人間中心主義に抗議する、アニミズム的精霊信仰、哲学を感じる。物語の切り口は環境学、文化人類学、幸福学と様々。これら重層的な思想の奥底には、戦争体験がもたらした強烈な死生観がある。甘ったるい夢ではなく、水木氏は現実を描く。ピリッと風刺のきいた、自由で豊かな彼の漫画が大好きだ。
熱が入ってしまったが、冒頭に記した「倉ぼっこ」について考えたい。倉ぼっこは、東北地方、岩手県の遠野あたりにいる座敷童子の類らしい。
「倉を守ってくれる良い妖怪。火事などがあると家にある物を倉へ入れてくれる。顔が赤い。空だって飛べる」(妖怪大百科)
「とくに悪さをするわけでもなく、倉の中で物音を立てたりするくらいだが、倉ぼっこが倉からいなくなると、その家の家運が傾くなどといわれているからバカにできない」(日本妖怪大全)
倉ぼっこの存在を知った当時、水木氏の描いた倉ぼっこのボクトツとした感じが好きで、なんだかとても気に入っていた。うちにも倉ぼっこが居たらいいのになあ、と思っていた。
そして最近の私は、自分自身の仕事と倉ぼっこを重ねてしまっている。
そもそも、倉ぼっこのやっていることは、地味なようでとても高度だと思う。火事等の緊急事態で、大事な持ち物を即座に倉へ避難させる。そんなことができるのは、普段から自分が棲みついているその家の資産を事前に把握しているからだ。倉にあるもの、家にあるもの。倉の容量。倉に入れておくべき資産を人間が忘れていないか。倉ぼっこは自然にリスクを分析している気がする。
私は収支表に向き合っている瞬間、自分がとても倉ぼっこ的だと感じる。コスト一覧を確認し、ペイメントスケジュールを作る。工程表を作る。どのタイミングでいくらキャッシュアウトするのか。SPC(特別目的会社)へ権利をトランスファーするのはいつで、どこからどこへお金を移すのか。プロジェクトへの投資判断のタイミングがいつなのか。リスクは何なのか。頭の中には様々な倉がある。プロジェクト、会社、日本、地球。大きな倉の中に無数の倉がある。私は倉と倉の間を行ったり来たりしている。
なお倉ぼっこが守っているのは、米や金、資産価値のある直接的なモノだけではない。第4期ゲゲゲの鬼太郎第87話『迷い家の倉ぼっこ』では、会社を潰し、家族にも逃げられ自殺しようと山に入った男が、倉ぼっこに出逢う話が描かれる。倉ぼっこは彼の話をきいてやる。励ます。山を下りる気になった男に、倉ぼっこは粗末なお椀を男に貸す。お椀からは米が湧き出し、食べると生きる希望が湧いてくる。必死に働く。しばらくすると男にツキが回ってくる。彼は事業を再興し、大成功を掴む。たぶん、倉ぼっこは見抜いている。豊かさをもたらすものは何なのか。
ファイナンスやPMというのは、妖怪総大将・ぬらりひょんのような人がする仕事だと思っていた。でも実際に日々を過ごしていると、私は静かに倉を眺め、誰も知らないうちに収支表をこつこつと整えている。そういえば、妖怪には定義も存在意義もない。人間も同じようなものだ。フリースタイルでいいんだな。忘れていたけれど。地味な倉ぼっこがPMをやるのも、悪くない。
持続可能な世界に、妖怪はいるのだろうか?
水木氏いわく、日本で妖怪が減ったのは電気が普及したからだという。妖怪の住処である闇夜は照らされる。それ以外の理由、自然環境の破壊のせいで、今後妖怪はますます棲みづらくなるだろう。人間に化けた賢い倉ぼっこがマネジメントをしている世界線に、私たちはすでに生きているかもしれない。そういえば、うちの共同代表は倉田さんだったな。
つづく
《参考》
水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大百科』、主婦と生活社(1999)
水木しげる『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』、講談社(2014)
水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ第4作、第87話「迷い家の倉ぼっこ」脚本・大橋志吉(1996)
水木しげる『妖怪の棲めない国はダメになる』、インタビュー・構成 桐山秀樹(2018、文藝別冊KAWADE夢ムック「水木しげる 妖怪・戦争・そして、人間」増補新版)