探求 第2章(できません編(2))
人は、¬(A∧¬A)といい、これは公理であり絶対的なスタート地点だという。
では、具体的な事例を挙げてみてほしい。
これはリンゴであり、同時にリンゴでない、ということはありえない。
確かにこれは食べてみると甘酸っぱく、赤く、つやつやしていて、リンゴに間違いない。100%リンゴ。リンゴ以外に考えられない。
ところで実はこのリンゴ、遺伝子の一部が組み換えられており、糖度を人工的に増やしている。その意味でこれはすでにリンゴではない。
よって、これはリンゴであり、同時にリンゴでない。
ゆえに矛盾律は否定された。
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人は自然科学、とりわけ、物理学的、脳科学的、遺伝子的説明を、無条件に信じている。
そのため現代では上の論法を応用することでいくらでも矛盾律の反例を挙げられる。
科学が先鋭化・微細化し、素朴な実在論から乖離すればするほど、矛盾律の反証はいつでも簡単に作成できるようになる。
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もちろんここで、ある種の者はあらゆる理屈で反論し、¬(A∧¬A)をなおも維持しようとするだろう。
たとえば同じ議論を、リンゴでなく数字の「3」で行ってみよう。反例が想像「できない」ということが、数字「3」のミステリアスで本質的な特徴と思い込んでしまう。
重要なのは、そういった「矛盾律の番人」が社会の至るところにおり、懸命に¬(A∧¬A)を保護しているという点だ。まるで聖杯を守るテンプル騎士団のように。
これも人間の興味深い自然史と言って良い。
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では、肝心のあなたは、一体誰なのか。評論家。科学者。悪魔。
わたしは、人の耳元で「見え方のコツ」をささやき、やがてその人が「あっ」と声をあげ「本当だ、男がみえる」と言う様子を喜んで眺める者だ。
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