探求 第2章(算術の基礎 編(3))
明日の天気が晴れの確率は80%だ、というのは、どういう意味だろうか。
明日は一度しか来ず、一度きたら二度と来ないのに、なぜ「80%」などと言えるのだろうか。
ひょっとして天気予報士は、20%の確率で「明日は来ない」とでもいいたいのだろうか。
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-- 「これまでの統計により、列島の上に高気圧があり、下に低気圧があり、前線が長く伸びて形成されている、これと同じ状況が100回発生した時、うち80回は翌日晴れになる」という意味だ。
-- あなたはおそらく物理学の因果法則を信じているだろう。ではなぜ、「同じ状況が発生したのだから、明日は必然的に100%晴れだ」と言わないのだろうか。
-- 観測技術の限界で、同じ状況でも、必ずしも100%明日の天気が予測できるわけではない。予想を狂わせる何かをまだ発見できていない。
-- すると、もし観測技術の精度が向上し、計算機の能力が増大して、明日の天気の予測に必要なパラメータがすべて判明したとしたら、翌日の天気予報はすべて「100%」になるのだろうか。
-- YES。
そこでこう問いたい。
もし観測技術の精度が向上し、計算機の能力が増大して、あなたの筋肉の動きや、サイコロの形や、空気の微細な流れが極めて精密に観測できるとしたら、サイコロの1の目が出る確率は1/6ではなく、100%になった、というのだろうか。
科学技術の進展により、やがて、コイントスの確率は1/2ではなく、(裏か表か)100%になると、いうのだろうか。
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-- いや、6分の1であるというのは、理想的な状態のサイコロが、かたよりなく理想的に投擲された場合の、回数の極限をとった場合の確率なのである。
-- ではその「理想的な状態のサイコロ」はどこにあるのか。
-- そんなものはどこにもない。
-- どこにもないサイコロを振ることなぞできないし、投擲回数を数えることも不可能だ。ということは、あなたの言っていることは架空の物で、できもしない事を語る、虚言なのか。
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彼は待ち合わせで一度も時間通りに来たためしがない。彼が10時に間に合う確率は0%だ。
10個の玉のうち、2個だけ赤い玉が混じっている。赤が出れば当たり。確率は2割だ。
コイントスの確率は1/2だ。
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天気予報の世界に「明日の1回性」などという概念はない。明日がもし1回限りであるような世界で、天気予報はどういう役割を果たすだろうか。
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確率が、我々の生活のなかで歯車として噛み合う仕方。
二人が言い争っていて、どうしても決着がつかず、コイントスで決めることにした。ゲームの先行・後攻を決める。
雨の確率が80%なので、普段は持たない傘を持って家を出る。etc。
コイントスを行うことは、「公平に選択する」という行為のツールとして用いられる。ちょうど割り算がケーキの公平な6等分のツールとして適用されるように。
中でも、2択であるような選択肢の解決に使われるのがコイントスである、とってもいいのではないだろうか。
我々はコイントスの確率=1/2を「信じている」のではない。コイントスは、たんに1/2なのだ。
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