人の心に残る文章をかけるようになりたい
タイトルのような文章を紡ぎたいけど生憎語彙力を持ち合わせていない。
noteなんて初めて投稿してみるが、こんなもの誰が見るの、、?と思ってる。
ただこれは、私が人の心に残る文章を紡ぐことができるようになるための練習。
そして私の日記でもある。
少しでも誰かの目に止まったら嬉しい。
簡単に自己紹介をする。
私は看護師だ。
人の命を直接的に救うことはできなくても、人の心を救える,そんな看護師になりたいと急性期病院で5年間働いた。
1年目、お局にいじめられ毎日泣いていた。死ぬほど勉強した。
2年目、努力が認めてもらえるようになった。
3年目、順調だった。やりがいを感じた。
4年目、後輩指導やプリセプターを任されるようになった。
5年目、病棟リーダーとなった。
そして眠れなくなった。
独身の中堅看護師は都合よく使われる。毎月10回以上の夜勤、残業、予定入院も緊急入院も寝たきり患者も全部私に任された。自分で言うのもなんだが、仕事できる方だった。
ダラダラ残業する人たちに苛立ちを覚えた。
指示出しが遅い医師に腹が立った。
せん妄患者に殴られ蹴られ、虚しくなった。
「患者の命を預かる」
そんな仕事にやりがいを感じるとともに、心はどんどんすり減っていった。気が強くないとやってられなかった。先輩と新人の悪口を言いながら、「こんな大人になりたかったんじゃないのに、、」と絶望した。
仕事中、2時間詰所で泣き続けた。起床時間は40時間を超えており限界だった。もう仕事を辞めるしか死ぬしかないと思った。けど辞めたら迷惑がかかる。死ぬしかない、そう思った。
眠剤だけもらいに行こうとメンクリにいくと、診断結果は不眠症ではなく「鬱病」だった。ドクターストップがかかった。それでも仕事は休めないと診察室で泣き喚いた。あの時の自分はおかしかった。
あの時ドクターストップをかけてくれた精神科医には感謝している。じゃないと私はとっくに死んでいた。診断され一年以上がたつ。私はまだ生きている。
毎日泣いて、入浴も食事も睡眠もできず地獄の日々だった。
2ヶ月の休職後、向精神薬を飲みながら仕事復帰することになった。
結果は、出社1時間で過呼吸を起こし再度休職。
仕事ができなかったことがショックで、病気に拍車をかけた。
躁鬱の症状も出始めた。
弁護士事務所に行った、バカみたいな量の薬を泣きながら飲んだ、何度もベランダにたった、遺書もかいた。眠れない、と実家で暴れた。親も泣いていた。
正式に退職して、まあなんだかんだ生きている。
生きる希望も力もなかった。死しか救済方法はなかった。
けど今は、人生まだ長いなって思えるようになった。
そんな私が成長するために、幸せになるための日記。
今日もマイスリーとサイレースを酒で流し込んで寝る。おやすみ世界。寝床に入るたびに、明日が来なければいいのに、そう思わなくなるにはあと何年かかるだろうか。