京都創業の企業にインタビュー!第1弾 分析・計測機器メーカー 株式会社堀場製作所 <前編>
~国内初・元祖学生ベンチャーの挑戦 京都から世界へ~
1953年に「国内初・元祖学生ベンチャー」として設立、「おもしろおかしく」の社是のもと、世界シェア80%※を誇るエンジン排ガス測定装置をはじめ、多様な分析・計測機器を展開する株式会社堀場製作所(本社京都市南区。以下、堀場製作所)。
今回は、堀場製作所の本社に訪問し、元取締役副会長 石田耕三氏、グローバル本部 エクスターナルコミュニケーションセンター センター長 上杉英太氏、ビジネスインキュベーション本部 R&D Planningセンター長 中村龍人氏にお話を伺いました。
前編では、堀場製作所のこれまでの歩みや戦略、組織体制について取り上げています。
※堀場製作所推定
1.石田氏のご経歴
――はじめに、今回この場を取り持ってくださいました石田さんの経歴についてお聞かせいただけますか。
私は1968年には同志社で内燃機関の燃焼を研究する大学院生でした。私の研究室の教授が、国の研究補助金で堀場製作所の排ガス計測器を購入されたのをきっかけに、堀場製作所の新しいタイプのガス計測器を借りたりしながら研究をしていました。これが堀場製作所との出会いです。
就職活動を始めた当初は、自分の研究分野である自動車関係の企業に就職したくて、堀場製作所に就職することは考えていなかったのですが、当時は就職難でもあったし、元々大企業の雰囲気・文化があまり好きでなくて。そんな時に堀場製作所の方に誘われて、1970年の万博の年に入社しました。
入社当時、てっきり自動車排ガス計測関係の仕事を担当させてもらえると思ったのですが、主力事業であった赤外線ガス分析計の開発部門に配属されました。自分の専門とは少し違いましたが、勉強にもなりましたし、何より社内の複数部署の方々と接点を持てたのが良かったと思います。
その後はメンバーの一人として開発した排ガス計測装置をアメリカとヨーロッパに展開して、1985年からはドイツのグループ会社の社長をやりました。それはちょっと青天の霹靂だったんですけどね(笑)。
ドイツから帰ってきた1988年に、取締役になり、それ以来ずっと経営に携わってきました。関連グループ会社の社長もやったし社内ベンチャーの設立もいくつか行いました。大半は失敗しましたが、形を変えて今もその財産は生きていると思います。ただ、企業の中でそういう会社の面倒を見るのは大変やなと正直感じました(笑)。
私が入社したときは、社員数は300名、売上高は20億円程度でしたが、今は社員8,000名、売上高2,000億円程になりました。
現在は社友という形で、社外の活動等をお手伝いさせていただいています。
2.株式会社堀場製作所の歩み
(1)研究体制面での工夫
――ありがとうございます。次に御社の歩みについてお伺いしたいと思います。まず、研究体制の面で工夫されてきたことはありますか。
創立当初は、開発組織が研究室タイプであることが特徴でした。各研究者が自分の専門・得意領域を持っていて、ときに大学関係の人たちと協力しながら好き勝手に研究し、それを上手くまとめていました。
堀場製作所のビジネスは、固体、液体、気体の物質の三相それぞれの分野で計測のニーズに対応できる様に、液体ではpH、気体では非分散赤外線ガス計測器といった関連する製品の開発をすることでした。このためには当時入手が困難なマテリアルの開発から行う必要があり、この点で研究室タイプが非常にワークしたのではないかと推察します。
日本全体としても、今でいうベンチャー企業と、大学の技術系の先生とが一緒になって研究した結果、戦後の日本のいろんな産業分野、技術開発領域を支える市場ニーズが広がったんですね。
(2)市場参入機会を捉える仕組み
――なるほど。御社にとっての市場参入機会は、工業製品に関するリスクや安全基準の数だけあるように思えますが、どのようにしてビジネスチャンスを逃さずに掴んでこられたのでしょうか。
pHの事業が成功して資金面で余裕ができたこともあり、堀場製作所には、何か新しいニーズがあったときにフレキシブルに対応できる仕組みが作られました。一つの成功に固執せず、次なる発展に向けて技術シーズを育てていたことが、次々と出現する、例えば環境規制などに対応できる機器を開発・販売できた要因だと思います。
例えば、ガス分析市場に進出しようとなりますよね。そのとき、一般的にガスの分析には薬品を使う化学計測と物理計測とがあるんですけど、化学計測は不安定で工場の中では使いづらいことを踏まえて、シンプルな原理の物理計測にしようと。その中でも競合がやっていない非分散分赤外線装置を作ろうとか。このような検討を積み重ねて、製品を完成させてきました。
ガス分析市場への進出の過程では、以前からビジネスに結びつかないようなことも含め色々研究していたから突破口を見つけることができ、時代に対応できたんです。このような好き勝手に研究してしまう開発文化はいつの時代も大切なことで、そのDNAを受け継いでほしいです。そしてその様な無駄をやれる会社にしたいですよね(笑)。
要するに、単発的・短期的な戦略ではなくて、将来を見据えた長期的な戦略を立てるのが大切です。
(3)人材の集め方
――石田さんが入社されたときから100倍の規模の会社にするにはやはり優秀な人材が必要だったと思うのですが、人材の集め方に関して何か工夫はありますか?
会社の設立時は、創業者の堀場雅夫氏が大学と関わりをもって、自ら優秀な人材を発掘してきたことですね。当時は大学院に進む学生は少なかったし、誘ってもなかなか来てくれなかったんですけども、それでも学生時代から関係を築いていたことで入社してくれた人が多いです。
私も大学院卒業後に、大学時代に所属していたゼミのOB会の会長を引き受けたり、大学で講演するなどして学生と関わりを持っていました。堀場製作所には来てくれなくても、自動車会社に入社されて、後に重要なポストに就かれる人も結構あって、人脈という意味でとても財産になっています。
ベンチャー企業の社長は経営、営業、人集めを1/3ずつの力配分でやる必要があると思います。社長以外の社員も、「良い人を探してきて良い会社にしよう」と思える会社の雰囲気作りが重要ですね。
前編をご覧いただきありがとうございます!
後編では、堀場製作所のグローバル戦略や、スタートアップとの協業について取り上げています。
ぜひご覧ください!
インタビュー:栖峰投資ワークスアシスタント 中山
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