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気が付いたら相当なハードモードから、がん闘病生活がスタートしました

2022年6月15日(水)

13日に会社指定の検診をうけた日の夜から、便に血が混じっていた.
夜中に何度も痛みで目が覚める.バリウムを出すための下剤が効きすぎたのかと、その日は様子を見ることにした.

翌14日も痛みは治まらず、夜中に30分おきに目が覚める.
それでも15日朝には一度出社したのだが、さすがにこの痛みはおかしいと感じ、検査だけ受けて会社に戻ろうと、まずはかかりつけ医のところに向かった.

いつも通り、診察の前に検尿、血液検査、心電図、肺のレントゲン撮影.
ここまで検査で1時間近く.いつもであれば、そこからさらに診察で呼ばれるまで待つことになるのだが、その日は待つことわずか15分.
それなりに患者の多い診療所であり、いつもであればもう少し待ち時間が長いのに、少し早めに呼ばれた.
その瞬間までは、「あぁ、会社を一時的に抜けてきたので少し早く見てくれたのかな」くらいにしか思っていなかった.

診察室で告げられたのは、いつものような検査結果の詳細な説明ではなく「ちょっと症状が気になるので、いま、地域医療連携と連絡をしているので、近くの(高度急性期)病院に行ってください.」「地域連携の受付ではなく、救急外来のほうに行ってください.」との事だった.

救急外来を受診するのは人生で4度目のこと.うち2回は20歳前後で、自転車ごと跳ね飛ばされる事故にあったり、停車中のトラックに突っ込む事故を起こしたりという、事故がらみが計2回

もう一回は30代で、急激で激しい頭痛.
CT取ったりと、それなりに検査をしてもらったが、結果、大きな問題はなかった.
そこから10年以上経ち、今回で人生4度目の救急外来.
「ちょっと気になる」と言われると、さすがに不安が脳裏をよぎる.

実は偶然にも、同じ年齢で母親にガンが見つかっていたのだ.そして、今回と同じように母親も診療所に向かい、検査のために近くの大きな病院に移り、そのまま入院している.既にガンは転移しており、ステージ4からのスタート.
とはいえ母親のほうはと言えば、肺に転移しており呼吸が少々苦しくなってからの発見であったということで、症状の異なる今回の自分とは違う部分も多い.
不安になりつつ、そして、半日程度仕事を抜けて検査を受けるだけのつもりだったその日は結局、出社できないほどの時間がかかったのだが、母親のような即入院コースにはならず、夜には愛猫の待つ自宅に戻ったのであった.

2022年6月17日(金)

入院にはならなかったものの、追加の検査が急ぎ必要とのことで中1日を置いた金曜日には、内視鏡検査のために再び病院に来ていた.

人生で何度目かの、内視鏡検査.
検診を受ける病院が異なれど、定期検診のたびに「便に血が混じっている」と指摘され続けていたことから、内視鏡検査は何度か受けていたのだった.

とはいえ久しぶりの内視鏡検査.
先端恐怖症のため、点滴だけでも気を失いそうになるオラは、検査前の点滴で軽く眩暈を覚える始末.
検査直前に入ったトイレでは、「針が皮膚でも突き破ったら、あたり一面血の池地獄」と、ひとり気を失いそうになっていた.
実は点滴用の管には針などついておらず、したがって針を皮膚が突き破るようなことは全く起きないのであるが、それを知ったのは2週間後のことである.

さて、検査台に移動して検査開始.
うっすらと意識の残る中、カメラは少しずつ奥に進んでいくのだが、それほど奥まで進んでいないのに、カメラがとまってしまった.
直腸付近で見つかったそれは、小さめのポークウィンナー大はあろうサイズの腫瘍。
先生は、「検査に回してみないと良性か悪性かは判断できない」と言っていたが、素人目にも大きく成長しているそれは、まぁ良さそうな見た目のものではないことだけは想像がついた。
オラの記憶は、そこで終了.
当然、その後も検査は続いたのだが、次の記憶は検査終了後しばらくたってから.
近くに身内もいない独身男性、45歳10か月.
自分ですべての話を聞くしかないので聞いた結果は、「腫瘍が良性か悪性かは検査しないと分からないが、腫瘍が直腸をふさぎかけており、そのための出血.」とのこと.
硬い野菜や繊維質が詰まりでもすると、まぁまぁ大変なことになるので肉と魚を食べることと、もしも出血が増えた場合にはためらわず救急車呼ぶことを確認し、その日も無事帰ったのであった.
次の診察は10日ほど後の、検査結果が出る29日に決定となった.
今思うと、29日の指定は少々奇妙であり、担当医の先生の外来診察日は前日の火曜.水曜日は別の先生の担当日であったのだが、検査結果が出る日に合わせたのだろうと思い、そのときはまだ自分の置かれている状況を軽く考えていたのであった.

2022年6月29日(水)

問題の29日.
告げられた診断結果は、やはり直腸がんであった.
腫瘍が大きく、腸閉塞の危険性を考えると食べ物をあれこれ制限しなければならないとのことで、ストーマ造成を行うことが、この日決定された.
ストーマ造成手術のためには入院が必要となるので、そこからは入院のために必要となる検査のはしご.
造影剤CT検査や血液検査などの各種検査と術前歯科検診でその日は終了.手術を担当する外科の予約と、入院のための説明予約が7月1日に決定した.

2022年7月1日(金) 午前

月が替わって7月1日.この日は朝から入院のためのカンファレンス.
入院の心得や必要となるもの、注意事項などひと通り話を聞いたあとは、続けて麻酔科の先生からの説明.
次は少し時間が空いて外科の診察、となるはずだったのだが、ここで心電図の検査が追加となり、外科診察の前に向かう.
心電図は正直何度も受けている検査なので、今更そこで大きく何かが動くことはないだろうと、軽い気持ちでフラグを立てるも、やはり、検査は特に苦労することなく終了.

そのまま続けて、外科の診察.
ストーマ手術、急いだほうが良いとのことだったが、「とはいえ仕事の都合もあるだろうし」ということで、いつから入院が可能か聞かれる.
馬鹿正直に1,2週間後と答えると、「君、自分の症状どれくらい自覚している?」と、お小言ボーナスタイムに突入.
とは言え、ダンディなお医者様は丁寧に話を聞いてくれまして.
結果、ここまでドタバタと事態が進み、オラはどうやらしっかりとした症状の説明を聞くことが出来ていないということを理解してくれた模様.造影剤CT検査の結果を聞く前に外科にかかっているわけですから.
「話を聞く覚悟は、ある?」と確認してくれた上で、検査結果を教えていただきました.
がんの治療は外科で行うこともあるので、当然がんに詳しい先生が教えてくれた結果は、セカンドオピニオン的なものとなった.
カメラの結果など初見に近い状態で少しずつ話してくれた内容は、遠のく意識の中で覚えていたポークビッツは見るからに悪性腫瘍の特徴を示しており、最終診断はやはり検査の結果待ちになるのだそうだが、がんで間違いないだろうと言えるものであったそうだ.

続けて、まだ聞けていなかった造影剤CT検査の結果.
幸いにも、肺などへの転移は可能性レベルも見つからなかったようだが、肝臓への転移確認(リンパ節を通って転移するので、リンパ節にも転移).
既に数が多く、取ろうとすると全摘になってしまうことから、外科的手術は既には適さない状況であることは、ここで初めて聞いた.
とは言え、直腸がんで肝臓転移というのは、患者の多いパターンとのこと.患者が多ければ事例も多く治療方法も進んでいるとのことで、薬が効けば、そんなに難しい状況ではないとのことであった.

良くないのは、腸閉塞を起こしかけている腫瘍の大きさ.
腸閉塞起こしたらのんびり治療の話もしていられないとのことであり、だからこそ、ストーマ造成手術を急いだほうが良いという、最初の話につながったのであった.

うん.これならわかる.
ということで、1週間も待ってもらえないということを悟ったオラは、4日月曜の手術に同意することにした.

ここまでうけた検査の結果は、「ひとつを除き」すべて確認済み.
あとは先程フラグを立てたといっても、いつも受けている心電図の検査結果.
一応、続けて話があるとのことで、「午後からは仕事に戻れそうだな」などと会社にも状況報告の電話を入れつつ、循環器内科の診察を待ったのだった.

2022年7月1日(金) 午後

ここまで怒涛の2週間を過ごしたオラに、さらに衝撃が走ったのは循環器内科の診断結果だった.
実は、昨年秋に動機、息切れを感じていたことがあったのだが、その時に心臓が4割から5割増しになっており、肺に水がたまり、血中酸素濃度が下がっていたのだった.

その時に処方された薬はしっかりと働いてくれたので症状は数日でよくなったことから、既にもうその影響はないだろうと思っていたのだが、ここで告げられたのは「心臓の動きが良くない.心不全の兆候が残っている.検査を受けて麻酔に心臓が耐えられることを確認しなければ、手術の許可を出せない」というものであった.
正直、それはもう驚きの結果だったため、もう少し詳しく説明頂いた心臓の検査結果については、覚えていないことのほうが多い.具体的な心臓や血管の状況、心音が示す症状など、もう少し詳しい説明があったのだが、覚えていないものはかけないので心臓について説明ができるのはもう少し先の話となる.

手術は4日に迫っている.とはいえこの状況で検査をしない状況では、麻酔科も手術OKを出すはずがないということで、一旦は手術延期に話が傾き始めたのだが、さらに先生は「手術決めたのつい先程のこと?」と、なぜ急に予定が決まっているのかについても注目してくれた.

その結果下された判断は、「もう金曜の午後だし、月曜(4日)朝の手術のためには、本日このまま検査入院」というものであった.
必要な検査は、血管からカテーテルを挿入し、カテーテルから造影剤を注入して目的部位の血管を描出するという、血管造影検査とのこと.
とはいえその判断をした今は、手術前最後の平日の午後.手術室の空き状況を確認してくれたが、やはり今のイマでは空いてない.そのために下された結論は、ふたたび緊急外来に行き、そこで血管カテーテルを挿入するというものであった.検査は引き続き先生が行ってくれるとのこと.

こうして、現在も続く緊急入院が決定したのである.


検査とは言え、動脈からカテーテルを入れるのは同意書が必要な、まぁまぁ大きな検査.
緊急扱いということで、(電話して確認はしましたが)身内のサインをもらうことなく、1時間半ほどで検査は始まった.

検査を待っている間も、ゆっくりと施設の空き待ちということではなく、こんな時期なので緊急入院のために必要となるコロナの検査を受け、緊急外来に移動し、緊急外来で必要な書類にサインするという、この2週間を象徴するかのような、慌ただしさ.
やはりここでも、ゆっくりと何かを考える時間や余裕は、なし.
心臓絡みの問題ということで、念には念を入れて自らの足で歩くことすらなく移動し、予想以上にしっかり手術台の上へ.
検査中に動いたり落ちたりすることの無いよう、しっかりと固定されたオラの血管造影検査は、スタートしたのであった.

幸いなことに、検査の結果血管に問題はなく、無事4日の手術は可能という判断に.しかし、緊急入院ということで、病室の空きもなく有料個室での入院スタートとなり、さらに地味なるダメージのトッピング.
荷物も、今朝受け取った入院のための書類と財布のみという「ないものだらけ」のなか、本日まで続く入院がスタートしたのである.


ということで今更ですが、自己紹介

手術までの「怒涛の2週間」を駆け足で紹介しましたが、
オラは徳島県で今まさにがんと闘って…

すら、おらず.
初稿執筆段階ではまだ、がんと闘う日々を迎える前の準備としてストーマを造成し入院中の、ごうと申します.
45歳11か月、独身.

以前はIT系のオンライン記事や技術系の書籍を執筆し、某所のMVPなどという「上級技術オタク」であったワタクシは、有料無料数多くのトレーナーやセミナー講師を経験.
その後、縁あって飲食事業部の関係者として、キッチンカーを運営することに.

現在はそのキッチンカーの点検等でお世話になっていた会社で、移動販売車やキッチンカー、その他特殊な車両の営業を担当する傍ら、社内SEとして会社のWebサイトの管理や、業務に必要なシステム開発をしつつ、近日完成予定の温度検査施設で請け負うことが出来そうな業務を準備したり、この先確実に到来する電気自動車に関するお話をメーカーと進めたりと、様々なことをしながら勉強させてもらっている、良く言えば自称マルチプレーヤー、言いかえると「何でも係」でございます.
(詳細に説明すると、すぐにわかってしまうような特徴ある企業ですので、会社の話はこの程度で)

一応、一級ウェブデザイン技能士でございます

つい先日起こったイベントが、突然のがん告知.
しかもステージ4という「ベリーハードモードからのゲームスタート」.

母親や母親の兄弟が「がん」で40代に鬼籍に入っており、普通の人よりは警戒しているつもりであったにもかかわらず、自ら突然検査入院を経験するという、がん家系のサラブレッドにして好奇心が呼吸しているような、生き物です.

がんの情報とか(消化管)ストーマの情報とか、
オンライン上には患者からの情報が意外と情報がないことが分かったので、みなさんが経験できていないことを「スペシャリスト」として紹介していこうと思っております.
これから治療費もかかるので、少しでも稼がせていただぎたいというのも本音ですが.

企業の検診は年1回ですが「少しでも気になる症状あったら、半年に一回は予防のために検査しとけ」が、いま最も伝えたいメッセージかな.

物書きのような素晴らしい文章ではありませんが、いろいろ執筆してきたので普通の人よりは文章書けますし、4時間の有料ハンズオンセミナーで講師を経験していたりもしますので、芸能人のようなオーラは一切ありませんが、普通に何かを伝えるようなことも可能です.

興味を持っていただき、何か書いてほしいとか、話してほしいとか思っていただけた場合はこちらまでご連絡をいただけると幸いです.

2022年7月18日 徳島県内のとある病室にて
ごう


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