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フィクションのような公的身分

引っ越しが終わらず、手元にまだあまり本がないので、とりあえず寝る前にブコウスキーの『パルプ』を読み始めた。色々本がある中で、なぜこれを選んで持ってきたのか、その瞬間の自分の判断がよくわからない。面白いのに毎回最初の数ページでなんとなく中断されてきた小説。多分、「いい人っぽくない本」が読みたい気持ちだったのだろう。

”セリーヌは本当にセリーヌなのか、それとも誰か別人か? 俺なんか時々、自分が誰かだってよくわからなくなってくる。俺はニック・ビレーン、それはわかってる。でもたとえばだ、誰かが「おーい、ハリー! ハリー・マーテル!」ってわめいたら、俺はたぶん、「おう、なんだい?」と答えちゃうんじゃないか。つまり、俺は誰でもありえるわけだ。それでいいじゃないか? 名前なんかどうだっていい。”(柴田元幸訳、新潮文庫、p.14)

以前は素通りしていたこの部分に、今回激しく惹きつけられたのは、自分の名前とアイデンティティがうまく噛み合わない状態にあるからだろう。

離婚に際して面倒なことの一つに、苗字をどうするかというのがある。旧姓に戻すのが一般的だが、実は「新しい戸籍を作って結婚時の苗字を使い続ける」という、もう一つの選択肢がある。親の苗字を名乗るのが嫌という理由で結婚の際にも率先して夫の苗字にしたので、親の名前と元夫の名前の2択は、正直どっちも微妙だ。「籍を作るなら、いっそ元夫の苗字ではなく、全く新しい苗字を名乗りたい」と思うのは私だけだろうか。しかしそんなことできないのでnoteではペンネームを使い、実人生では新しい籍を作って元夫の苗字を使い続けることにした。仕事の関係というのが大きな理由だが、諸々の名義を変更するのがめんどくさかったというのも大きい。そして何より、親の籍に戻るのはいつでもできるが、新しい籍を作れるのは事実上今回のみ、というところが決め手になった。

新しい籍を作れば、もちろん本籍も作らねばならない。実家は持ち家だが別の市町村なので、実家を本籍にしたければそこに行って作ることになるが、市内ならそのままここでできると窓口の人に言われた。「本籍はいつでも変更できますので」とも。それで、住み始めたばかりのアパートの住所を本籍にした。

結果的に、本来願ってもそう簡単に作れるものではないはずの「新しい戸籍」を、単なる惰性の産物として獲得してしまった。そのせいか、全く新鮮味がない。住まいだって、いつか腰を据えて生活する場所を決めるかもしれないが、とりあえず今回は複数ある勤務地のどこにでも比較的楽に電車で通えるエリア(土地勘もあり困らない)に借りたアパートだ。先行き不明な職業への、現時点での利便性だけで選んだ賃貸の部屋、つまりは面識のない人の所有物を本籍に、かつて夫だったが今は他人である人の苗字を名乗って生きていることになる。詐欺師みたいだ。急に自分という存在が耐えられないくらい軽く感じられてきた。吹けば飛びそう。もう本名がペンネームというか、身分証が偽の身分証のようだ。さすがにハリーと呼ばれても「おう」とは言わないだろうが、いつか私も切実に呼ばれている名前の持ち主が不在の時に、気を遣って「はい」と答え、その人のふりをし続けてしまいそうな気がする。

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