料理は自然とともに
最近、まともに料理を作っている。
まともとはいっても凝った料理を作っているわけではなくて、かなりシンプル。
旬の野菜を買って、それを煮たりチンして味付けするだけ。
季節によって材料が変わるし、調味料もシンプルなものでいいんだってわかったから。
旬の野菜はお手頃価格なので、余分になったものは漬物にしたりして保存。
昭和の高度成長期って、毎日日替わりでいろんなメニューを作るのが流行っていたように思う。
だから毎日、何作ろうか?、何食べたい?って献立をうんうん考えていた。
なんだかそれって、大変だよね。
毎日そんなに日替わりでごちそうを食べなくてもいいじゃん?
なんでそんなに料理が大変になっちゃったんだろう??
ふた世代前は、もっとシンプルだったと思う。
採れた野菜を使って、味噌醤油砂糖で味付けする、みたいな。
スティーブジョブスが黒のタートルネックとジーンズだけを着ていたように、毎日同じ献立にすれば考える苦労がなくなるんじゃない?
それでも旬の野菜はくるくる変わるわけだから、店頭に出ている野菜から適当に考えればいいわけだし。
「土を喰ふ日々」 水上勉
季節ごとの食材をシンプルに調理して食べる。
もしくは浸けたり、干したり。
料理は瞑想にも似て。
全身全霊で味わうのが大事なのだと、読んで思う。
「料理と利他」 土井義晴
この本を読むと、料理のハレとケについて再確認できる。
そもそも今までの食事って、毎日ハレばかりを追求しすぎていたのでは?
旅館の料理が毎日続くとしんどいように、日替わりであれこれ凝った料理を作るのも日々の生活する上では過剰だったのではないのか?
一汁一菜でもよくて、料亭のように調理しなくてもよくて。
ハレケ(日常)の料理はシンプルでいい。
レシピに囚われるのは、西洋的な思考なのかも。
きっちり測って処理することで、同じ結果を目指す。
でも日本の料理って、季節も天候にもよって食材は変化する。
だから適当にやるっていうのがすごく大事で。
ある意味、自分だけで料理をして味を確定するというより、自然界が取り込まれた結果がそこにあるというか。
だから料理は自分一人でするのではない。
その時々で宇宙を内包してるのかも。
地球とつながっているのかも。
「いい加減」というのも、いい。
これはカヤックのフェリーグライドでも説明していることです。
角度が45°、と教科書的にはいわれていますが、その時々で角度は変えていい。
むしろ、変えた方がいい。
流れという相手がいて、それに合わせてこちらも変化する。
そこがおもしろさだったりするわけで。
材料、気候、自分の体調。
いろんな要素を交えて、その時々で適当にやっていくのが日常の料理なのだ。
「もうレシピ本はいらない」稲垣えみ子
震災をきっかけに、節電、物を少なくしたことで料理が変わった。
糠漬け、味噌汁、天日干し。
自分以外が調理を手伝ってくれる。
本来、日本は湿度があって晴れる日も多い、そんな気候。
だから発展してきた食文化。
環境にいいとかって大上段に構えるのではなくて、手を抜いていった結果、自然界に手伝ってもらう料理になった。
それなのに、うまい。
多少、味がイマイチでもそれを楽しんで食べる。
本来料理ってこういう物だったのだろう。
いっときの狂騒的な料理から抜け出して、本来の料理にもどろう。
自然にもどろう。