意味がないこと
最近、掃除にハマってる
最近、朝の散歩の代わりに家の掃除をしている。スマホを手にするとあっという間に時間が溶けてしまうので、なんとかその時間を別な過ごし方にしたいと思ったからだ。
なんとなく思いついたからやっているだけで、飽きたらやめようと思って掃除してる。
やるのはごくごく普通。掃除機をかけて、雑巾がけ。フルでやって約1時間。けっこう大きい家なので、それなりに時間はかかる。散歩がわりに毎日やっていると、掃除が必要ないくらいにきれいになってくる。そうすると「掃除=きれいにする」の意味も目的も消え去る。
意味がなくなった先に見えてくるもの。
散歩していたころは、同じコースを歩いているのに、目につくもの、きれいだなって思うことが変化していて、その変化がおもしろかった。それみたいに、意味のない掃除は、遊びとか美しさとか思想になってくる。
すみっこが大事だなとか、無垢の木はちゃんと応えてくれるなとか。日を追うごとにつるつるに磨かれていく床。建具の繊細さとか。ひとつひとつの傷も見えてくる。
わずかな成果として、掃除機にそれなりの量のチリがたまる。あれだけ丁寧に掃除機をかけているのに、ほんとに不思議だ。
そんな話を哲学カフェで話したら、興子さんが「それって映画の『パーフェクトデイズ』みたいだね」と言った。日々、淡々と仕事をし、缶コーヒーを飲み。本を読み、音楽を聴く。同じように見えて違う毎日。ほんのちょっとした違いが、生活に色をつけていくような。
毎日変わらずに続けていくこと。そこに意味がなくてもいい。
意味がないから、楽しい。
わたしが教えている川下りも、意味がないからこそいいんだろうな。これが、何かを運搬するだとか、移動する交通手段とかって意味や目的があったら、楽しさはなくなると思う。
それでも、そうやって意味もなくハマることって、あとになって「ああ、こういうことだったのか。」と、意味が立ち上がってくることがある。
意味のなさ、目的のないもののおもしろさ。
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