ウェブ解析を巡る連想 Vol.12 ~ ロイヤルティプログラムとサブスクリプション
LTV(Life Time Value)は、「顧客生涯価値」と訳され、CRMの究極の狙いはLTVの最大化とされる。このためには新規にまして既存顧客こそが資産として重要であり、ブランドスイッチをさせないようあらゆる手を尽くす意義がある。そのマーケティングコストは一般的に新規顧客獲得の1/5で済むと云われるのに、実際には既存顧客のコストは節約するケースがほとんどだ。高度成長期以降の日本のマーケットは、ほぼ新規客しかいなかったので問題はなかった。企業には客なんか取りっ放しで逃してもまた取ればいいという発想が漠然と根付いたし、小さな差別化を争う国内の限られた競合社が横並びでそうなので、どの企業もブランドスイッチに鈍感でいられた。それがグローバル化が進み、ブランドも商品群も、そしてそのユーザーベネフィットの質さえも多様化して選択肢がいっきに広がったので、一旦離れた顧客は戻ってこなくなった。
日本のパソコンメーカーはなぜここまで凋落したのだろうか。私はDELL社の製品を複数台何度も買い替えて使用している。ビジネスユースという制約もあるが、今のところ他社製品に替える理由がない。絶対替えないと確信している訳ではないが、新しい製品が欲しくなればあらゆるグレードのほぼ希望した性能のアレンジが可能で、それらを適正な価格で入手できるし、実際に何度か緊急サポートが必要な事態に陥ったこともあったが、メインテナンスの対応が的確だったのでほぼ不満を感じなかった。嘗て国内の某メーカーに電話相談窓口で、「申し訳ありません」と繰り返しながらも遠回しに、「如何ともできません」というニュアンスで頑なにあしらわれた記憶は今も鮮やかだ。DELL社の製品がずば抜けて優れているとは思わないが、どんなユーザーニーズへも的確に素早く丁寧に応えてくれるという点において、知らず知らずのうちに私のLTVはがっちりと確保されてしまっている。(ウェブサイトのユーザビリティの改善などの要望はある)
もうひとつ私的な事例だ。コンタクトレンズほど確実に再購入される商品はないし、一旦使い始めると余程のことがないとブランドスイッチする機会も少ない。私は40年近いコンタクトレンズの利用者だが、不思議なことに今までに何らかのロイヤルティプログラムに接したことがない。未だに自分の愛用品(なぜ最初にそれにしたのかもう記憶がない)を、毎回最安値検索して購入している次第だ。もしどこかのメーカーにしろ代理店にしろ、私に対して「うちの商品なら長く買えば買うほど得になるプログラムがあり、途中で最新型へのアップグレードにも対応します」と申し出てくれたなら躊躇なくそうしていたし、一旦それに乗ったら権利を逃すのが嫌だから永遠に買い続けたであろう。40年も続けて買う客ならば、もう原価に近くしたって損はないだろう。コンタクトレンズメーカーや代理店にそういう個対応の発想はない。新規客を確保するTVCMに膨大なコストをかけて、その全コストを全顧客でならしているために、優良顧客であるはずの私ひとりにかけるコストをセーブしてしまっているのだ。
最近はサブスクリプションに対応する商品が増えているが、サブスクリプションにはロイヤルティプログラムが不可欠であり、同時に限りない可能性を含んでいる。つまり、サブスクリプションのサービス自体がLTVを得られる可能性を見据えているので、ロイヤルティプログラムを徹底的に追及することには大きな意義があるからだ。考えれば考えるほど、その可能性の底なし感が恐ろしいくらいで、顧客が蟻地獄に吸い込まれて抜け出せない絵図が浮かぶ。
余談ぽくなるが、サブスクリプションには、マーケットの在り方を根底から覆すくらいのマグマ的な潜在力が宿っているかもしれないと思う。それは「所有」という概念を覆してしまいかねないからだ。とくに若年層にはもうその意識的な変革の端緒が見られると思うのだが、CDやDVD、本などを買って保有しておく意味はどんどん薄れている。衣服でさえそうだ。「これ、もういいや」と感じたものを次から次へメルカリで売ってしまうのなら、今手元にある物は、本当に「私」の「所有物」と云えるのだろうか。レンタルとの差は何なのか。近い将来、所有することは、カッコ悪いことになるのではないか。来るべきそういう時代のロイヤルティプログラムは、連続して所有することに伴う満足感の持続や更新ではなく、「所有せずに、商品が自分を経由して淀みなく流れていく気持ちよさ」のような概念が、鍵になるのではないかと想像している。
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