
で、生きる力ってなんだろう③
乳幼児期の「生きる力」とは
本題としては、弊社にいる園児世代(0歳〜3歳児)のこどもたちについての「生きる力」とは?というところです。
私は、ここを「生きることを楽しむ、生きてよいという安心感の獲得」に尽きると実感します。
安心感、いまの赤ちゃん、何より育てている保護者の方々は感じられているだろうか…たまに不安になります。
でも、信頼できる保育者や機関が伴走できていたら、「私自身には満足が足らなくても、頼れるこどもの機関あるから大丈夫!」と、かなり軽減できるなと思います。"育ちビジョン"にある環境構築が目指すところにもつながるなと感じられます。
そして、こどもたちは、親の"言語化できない不安"をとてもよくみております。だって彼らは言葉の理解がない分、表情や行間をもの凄く探ろうとしています。だからこそ、こちらの不安や不穏な間を察知し、たじろぎ、泣きだします。不快や恐怖を示します。プロの保育士諸氏がすごいのは、初見の赤ちゃんや幼児さんにも「あっ、この人は大丈夫かも」と思わせる技術と経験の表情を持っているところです。
私にはまだまだ足りないところだなと感じさせられます…
そこでこどもたちが安心しつつ「こんなことやっても大丈夫?」ではなく、「これやってみた!」を、もちろん言葉はありませんが、目を丸くして突進し、取り組んで、こちらをチラチラ見ながら日々重ねていくこと、ここを"すべてよし"とする積み重ねが、日々の安心感につながると感じます。この、"すべてよし"とすることで、次のことにつながります。もちろん気持ちの整理が未熟ですから、お友達のおもちゃを取ったり、欲しがったりすることはありますし、そこで諍いが生じます。しかし、まずは、そこを含めて"すべてよし"とすることです。そこを認めないと、社会の一歩ではありません。そして同じコミュニティや、触れ合う者同士だからこそ、そこを認めつつも、「どうぞ」「ありがとう」「いいよ」「かして」などの第一歩を推奨し、そこへこどもたちがつながっていきます。
まずはやってよいのです。その結果からでないと学べません。
ありがたいことに、異年齢保育などではそこが自然に行われます。普段おもちゃを取り合っている2歳児さんは、何もわからずハイハイで割り込んでこられておもちゃをつかむ0歳児さんに取り合いを挑みません。
「うーー」と言いながら我慢もできます。
もちろん保育者がフォローをして、おもちゃを返してあげたり、譲ってあげている状態を肯定する。本人が納得していれば褒めてあげる。そこに幼児期後期へ向けての学びの一歩目があります。
で、「生きる力」をつくる環境とは
「生きる力」についてを長々書きました。
踏まえると、生きる力をつくる環境とは、そういう心や行動の揺れ動きを察して、見つけて、受け止めて(肯定して)、導く(提案する)ことだなということ。
察して、見つけて(言及して)、受け止めて(肯定して)、導く(提案する)ことは、日本語の"みる"に大義で置き換えられるところでもあります。
そう"みる"こと。
私自身もスマホをダラダラ見ながら、こどもの対応を「大きくなったからいいや」とウッカリしてしまいがちですけど、大事なのは、みることしかないのです。でもみる(観察する)ことで発見できるし、対話もできる。結局はそこで人の育ちを支える第一歩になっているのだと実感します。
今年も色々ありましたが、自分自身が周りをみることを大事にしていきたいと思う年の瀬でした。