コテンラジオ まとめ要約【53-1~4 COTEN RADIOショート ゴッホ編】
https://www.youtube.com/watch?v=d7xZj4l9TKw&list=PLIjh6KwR4APlCwgmDrN7ii1oG2m5Z36pB&index=2
「ゴッホ」に対するイメージが全く変わりました。
視聴前:情熱、狂気。とにかくほとばしる情熱をキャンバスにぶつけて鮮烈な印象の絵を描いた人。
視聴後:自分の魂と社会のギャップに苦しみ、愛と受容を求め、自分という存在や魂を保つために必死で描いたい人。
彼の描いた絵が、どんな「人生」から、どんな「思想」や「価値観」から、どんな「状況」で描かれたのか、そんな「コンテキスト」を解像度高く理解することができました。改めて、彼の絵と向き合ってみたいと思います。
誰しも、自分のPureな気持ち・価値観・願望・理想(以下では総称して「魂」と表現します)と、他者や社会とのGapを大なり小なり抱えていると思います。そして、何かしら折り合いをつけて生きていることが多いでしょう。もし仮にそのGapがものすごく大きかったら?そして、自分の魂を変えるということが難しい個性だったら?それはそれは、生きるということが苦しいと感じるでしょう。ゴッホは、まさにそんな「生き辛さ」を抱え「愛と受容を渇望」し、その飢えを絵画として表現した人だと感じました。そして、精神疾患に苦しみ、その中で「自分という存在」を保つためにキャンバスに刻み続けた彼の魂の結晶が、今私達が見ているゴッホの作品群なのです。
私は、彼の人生を「自分」に投影したり、「親」「兄弟」「友人」「知人」という立場から見た時に、「自分だったら、どんな対処ができただろう」あるいは、「どんな声をかけてあげられただろう」と想像しました。
彼の人生の苦しさの根源は、彼の魂が当時の社会的価値観とは大きくGapがあったこと。そして、彼自身が限りなくPureで自分の魂を調整するという選択肢を持たなかったこと。最後に自己と他者の価値観や認知の違いを意識することが苦手であっただろうこと、などがあげられます。これは、恐らく誰の人生にも存在する苦しさが凝縮して存在している状態と言えると思います。
非常に皮肉だなと感じたことは、そんな彼の「凝縮した苦しさ」が彼が絵画という媒体を使った表現に向かわせたこと。そして、その結果、精神に失調を来した彼が「自分の理性を保つため」にキャンバスに刻み続けた作品群が、彼の最高傑作となっていることです。つまり、彼の人生が「愛と受容で満たされていた」ならば、「彼の作品は生まれなかった」可能性が高いということです。そのような、ギリギリの瀬戸際で生まれる作品は、まさに彼の魂の結晶とも言えるし、人間の究極の可能性を表したものでもあると思います。
正直、私は彼のような人生は送りたくないし、子供にもそうなっては欲しくないと感じています。「自分が自分で正直であること」と「社会との折り合い」の関係。人間のPotentialの発露と、その人の幸福感とが必ずしも一致しない状況。このシリーズを通じて、「個としての人間」と「社会的な存在である人間」の何とも言えないジレンマについて、深く考える機会を持ちました。