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唐突に始まる、本への愛をひたすら主観で語る記事

前置き

どうも、ユウキです。

久しぶりにnoteを開きました。

"書く"という行為自体は好きな方で、「あ、今度これについて書こう!」とか思ったネタのストックだけは大量にしているのですが、他人が見たら引くくらい熱しやすく冷めやすい性分ゆえに、実際に記事になるのは多分1000分の1くらいです。

今日、たまたまこの記事を読んだ方は、その1000分の1の貴重な機会に遭遇しているわけです。

とかなんとか書いてるうちに、本題にたどり着く前に僕の"書く欲"が失せてしまってもアレなので、さっそく本題に。

今日のテーマはタイトルにある通り、本についての愛をひたすら主観で語るという内容の記事です。

いったい何人の方がこの記事を読むのかわかりませんが、最初に言っておくと、多分、役に立つような内容はありませんので(笑)、本当にヒマを持て余していまにも爆発しそうな方だけ先を読み進めてもらえたらと思います。

それでも、何日後か、もしかしたら何年後かに、全く面識も無いどこかの誰かが少しでも共感してもらえて、「わかるわ!」と一言コメントを頂ければ、僕にとっても今日という日の価値があるというもんです。

ちなみに、前書きは"ですます調"で書いてますが、本文は"だ・である調"なので、多少読みにくい点はご留意ください。

本っていうか、それを取り巻く空間が好き

もう、目次だけさらっと読んでもらったら、あと読まなくていい、ってくらいだけど、本っていうか本のある空間が好き。

自分は本があればなんでもいい、ってほどの本の虫ではないので、実際に本を"読む"という行為に至るまでのプロセスも結構重要。

東京の中央線沿いで育った僕としては、"本"っていうとなんとなく新書より古本を連想してしまうのだが、

その流れでいくと、いい感じの古本屋も好きだし、ブックオフみたいな無機質な空間も好き。

もちろん、同じ"好き"ではなく、違う種類の"好き"だけど。

社交場としての、いい感じの古本屋

例えば、いい感じの古本屋 ー他にいい形容詞が見つからないので便宜上"いい感じ"と表現しますが、今あなたが思い浮かべてる"いい感じ"でイメージしてもらえればと思いますー では、そこで働いてる店員、もしくは店長のおじさんにおすすめの本を聞いたりするうちに、うまくすれば仲良くなってそこでかかってる音楽のレコードを借りたりとかする楽しみがある。

イメージで言えば、コーヒーを楽しむために"こだわりのマスター"の店に通う感じ。

コーヒーという飲料代以上に、ウンチクを聞いたりとか、付加価値があるけど、いい感じの古本屋ってそんな感じ。

本屋なのに、必ずしも本を買ったり、読んだりしなくてもいい、ってくらい馴染んだらもうこっちの勝ちだ (何に?)。

そんなわけで、比較的、特定の読みたい本、探したい本がないときに行くことが多い、いい感じの古本屋。

っていうか、学生時代は通学路の途中にあったので、なんかもう、通勤に近い感覚でほぼ毎日行ってた。

しかし、いい感じの古本屋と言っても、全てがいい感じなのではなく、やはりデメリットもある。

例えば、コーヒー好きマスターの喫茶店に入るなら、"会話はいらない、ただ美味いコーヒーを飲みたい"という気分の時でも、高確率で強制的に会話イベントが発生してしまうように、いい感じの古本屋では、何か本を手に取ろうものなら、「〇〇が好きなんですか」とか、「その本はああでこうで...」のような店員トークが発生してしまうおそれがある。

仮に発生しなくても、半径数メートル以内に店員がカウンター越しにこちらを向いた状態で座っている、という状況もいい感じの古本屋では発生確率が高い。

さらに言えば、別に向いているかどうかは問題ではなく、仮にこちらの角度から対象が確認できなくとも、その空間に潜んでいることは確実であり、立ち読み時の緊張感はまるで地雷原の近くでタバコを吸うような感覚である。

そのような緊迫した状況で、本という仮想空間に没頭できるほど、僕は器用ではない。

まぁ、万引き対策とかいろいろ理由があるだろうが、とにかく近くに人がいると落ち着かないので、大事な本は絶対に一人の空間でしか読まないようにしている。

裏を返せば、"別にいつ話しかけられても読書を中断できる"ような本を読むのが、僕の古本屋の楽しみ方だ。

うかつにも、没頭してしまうような本に出会ってしまった時は、潔く敗北を認めて購入するようにしている。

無になれる、ブックオフ

一方で、ブックオフのような大型店では、無になれる、という楽しみがある。

木を隠すなら森の中、もしくは、赤信号みんなで渡れば怖くない、とはこの時のためにあるような言葉で、ブックオフでは、立ち読みの人間たちが木々のように列をなしているのを見ることができる。

主に、働き盛りのはずの若者が、先祖はそれを仕事に費やしたであろう、なみなみならぬ熱意を持って、コミック本を読み耽っているのだから、この国がお先真っ暗だとかなんとかそういうニュースを見ても、全く疑問に思わないのは僕だけだろうか。

かくいう僕も、その木々の中の一つであり、ここにいる人の全員は、その"木"になるという明確な目的を持ってここにやってきている。

いわば、周到に用意された計画犯・確信犯であり、決して、気づいたら"木"になってしまっていたとかいう被害者などではないのである。

さて、そんなブックオフだが、実家の近くにあったこともあり、"とりあえず行く"というのが初期の楽しみ方だったが、後期には"オトナ買い"ならぬ、"オトナ読み"をしに行くというのが主な楽しみ方となった。

具体的に言うと、気になった漫画を全巻読破することを指す。

もちろん立ち読みで。

そのためには、会話など要らぬ、ただ無になれる数時間が必要なのである。

褒められた行為でないのは百も承知なのだが、読破後の達成感と引き換えに、長時間立っていた反動で腰痛を引き起こすため、なぜか対価を支払った気になってしまう。

でも、よく考えたら、いや、考えなくても、本屋にも作者にもなんの貢献もしてないので、良い子はマネしないでください。

でも、数ヶ月とか数年とか経って、やはり申し訳ない気持ちとコレクター精神的な動機で、結局全巻購入してしまったりする。

だからなんだ、って話ですが。

まぁ、でもだいたいの目標が決まってて、無心モードの状態で入る時と、そうでない時があるのがブックオフ。

いずれにしても、基本的に会話イベントは発生しないので、読んだ作品の質によって、「充実した良い時間だった!!」と思える時と、時間を空費してしまった後悔に苛まされるリスクとが共存する空間、それがブックオフだ! (ドヤ顔: ( ´_ゝ`))

30歳過ぎた今、本って何なのか考えてみる

ここまで、本屋について小一時間書き続けて、肝心の本そのものにはほとんど触れていないのがお分かりだろうか。

ここまで読んで、おすすめの本とか、読書法とか、そんなのが出てくるんじゃないかと勘違いしているそこのアナタ!

悪いことは言わない、今後の文章の中にもそういった実用的な要素は1ミクロンも出てこないので、今すぐこの記事をMacなら[command + Q]、windowsなら[ctrl + Q]でブラウザごと閉じて、もっと有意義なことに時間を使うことをオススメする。

さて、そんな助言も虚しく、続きを読もうとしている少数派の方々のために、「そもそも本ってなんだろう」ってなことを考えてみるわけだが、これが意外と難しい。

ググってみると、"狭義では、複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの。"とか、物理的な本の定義が書いてあるのだが、kindleなどの電子書籍が普及する現代ではその定義すらも怪しい。

まぁ、でも、それを追求したいわけじゃなく、"僕にとって"本ってなんだろう、ってことを、記事のタイトルに沿って主観で書くというのがこのコーナーなわけだ。

一言で言うと、"仮想世界への入り口のひとつ"というのが、一言なのかどうかはさておき、一番しっくりくる表現だ。

仮想世界と現実世界

こないだたまたま読んだ本で、タイトルすらも忘れてしまったのだが、"人間は誰しもが、その個人のなかに現実世界と仮想世界を両方持っている"みたいな感じのことを言っていた。

仕事や学校、友達や家族など、いわゆる「リアル」が現実世界で、

イメージしたことだったり、夢でみたストーリーだったり、そういうのが仮想世界だ。

記憶が曖昧なので、もしかしたら"仮想世界"という言葉ではなかったかもしれないが、今流行のARとかVRとかそっちの方面ではなく、どちらかというと精神とか内面の世界的な意味での表現だったと思う。

こういう捉え方は、深く掘り下げてみると、なかなか面白い。

例えば、幼少期に、男の子なら怪獣とかヒーローの塩ビ人形で、(女の子ならたぶんバービー的な人形とかで、)ごっこ遊びをすると思うのだが、あれは端的に言えば仮想世界を現実世界に書き出す、映画の製作という行為に似ている。

いや、もっと正確に言えば、製作から上映、観客までを全て自分がリアルタイムでこなすというのがあの時間なのだ。

物理的には、両眼はビニール製の大きさ10数センチの物体が自分の手に握られている状況を見ているのだが、精神的には、そうは見えていないのが、ごっこ遊びの核となる部分だ。

ビニール製の物体は、仮想世界を投影する、いわゆる"媒介"としての役割があるのみで、物質的にはほとんど価値を持たない。

母や父の、「ごはんだからそろそろやめてこっちに来なさい」という魔法のコトバでリセットがかかるその直前まで、その眼はビニール製の物体を通して、地球や人類が絶体絶命のピンチになってマグマがそこら中に噴出している光景だったり、そらから無数の隕石的な物が止めどなく落下している光景だったり、あるいは実際にそうなってしまったら塩ビ人形などひとたまりも残らずただの有毒ガスとなって燃焼してしまうであろう高温の熱線が噴射されている光景だったり、そういうものを見ているのである。

あれこそが、仮想世界と呼ばれるものである。

で、本の話に戻るが、「本とは仮想世界への入り口のひとつ」と表現したのは、そういうことで、現実世界とは違う空間へ侵入する扉は無数にあり、ごっこ遊びにおける塩ビ人形も、本もそのひとつに過ぎない。

「NARUTO」の作者が、インタビューかなんかで、「NARUTOを書くきっかけはなんだったのですか?」みたいな質問をしていて、その回答が「忍空が好き過ぎて、続きを読みたかったけど作者が書く気配がなかったので、仕方なく自分が書くつもりで書き始めた」みたいなことを言ってて、すごく共感したことがある。(うる覚えなんで間違えてたらすいません)

他にも、同人誌なんてものが存在するのがそれを証明しているように、「既存のものに自分なりの解釈や設定、ストーリーを付け足す」という行為は、仮想世界では「アリ」なのである。

もう少し深く言うと、この"仮想世界"と"現実世界"には互いに共鳴関係にある。

仮想世界での豊かなインスピレーションが映画や本、音楽など、現実世界でも経済を動かすほどに影響力を持つことは疑う余地がない。

一方で、「映画」とか「本」とか、実体化したもの、つまり現実世界に存在する媒体を通してのみ、第三者の仮想世界を覗くことが可能になるわけだ。

おそらく、「忍空」のファンの中には岸本先生と同様に「忍空」のアフターストーリー的なものとかサイドストーリー的なものを考えたことがある人もいるはずだ。

つまり、忍空の作者である桐山光侍先生の仮想世界が、「マンガ」という媒体を伴った形で現実世界に書き出されたおかげで、岸本先生含むファンがそこにアクセス可能になった。

そして、その中から拡張された岸本先生の中の仮想世界で今度は「NARUTO」が生成され、同じように「マンガ」という媒体を伴った形で現実世界に書き出された。

このように、仮想世界と現実世界は複雑に絡み合い、影響し合っている。

自分の中の定義:本とは、仮想世界を広げるものだ

本に話を戻すと、良い本というのは、自分の中の仮想世界を広げるもの、と定義することが出来ると思う。

マンガや小説のように必ずしもストーリーが必要かと言えばそうでもなく、写真集や図鑑、論文やノウハウ本でも、仮想世界を広げることはできる。

理屈はよくわからないが、それを見たり読んだりする時に、インスピレーションがわいて、一瞬その世界がチラっと見えたら、それは仮想世界が広がった瞬間である。

そして、ある程度広がりを見せると、長い時間をかけて溜まった水が一滴のしずくのように、現実世界にコンテンツとしてこぼれ落ちてくるのだ。

いや、これは言い間違いで、必ずしも「コンテンツ」と呼ばれるものでないことの方が多い。

一番多いのは、会話の中や文章の中で「言葉」という形でアウトプットされ、現実世界に姿を表すというもの。

ちょうど、インスタの"ストーリー"のように、大抵の言葉は短期的な時間を経て忘れ去られることが多いが、中には人の人生を変えてしまうほどのパワーを持つこともある。

良くも悪くもね。

本、特に小説とかマンガみたいにストーリーが存在するものは、建築で例えると家具付きのモデルルームみたいなもの。

ここに住んだらどんな感じかな、っていうのがすごくイメージしやすいというメリットもあれば、逆にイメージの幅が制限されるというデメリットもある。

3LDKのファミリー向けマンションのモデルルームなのに、壁をブチ抜いたり2階を増設したりなんてのは構造上無理があり、それならかえってサラ地から買って部屋の設計から携わった方が自由度が高い。

同様に、ストーリーやディテールの細かさが、読者に与える想像の幅を狭めてしまうということもある。

だから、写真とかイラストとかみたいに、解釈の幅が広い媒体の方が、仮想世界を広げる上では、都合が良いこともある。

その分、難易度は上がるけどね。

ところで、この「仮想世界のものが現実世界に実体化される」という現象に関して、適切な言葉が見当たらない。

イメージで言うと、PCの中のファイルを「書き出す」、さらにプリントアウトして紙媒体にするような感じ。

マニアックな例えだと、「デジモンテイマーズ」というアニメでデータだけの存在だった現実世界に実体化して暴れ回るのを「リアライズする」と表現していたけど、それが感覚的には最も近い。

とは言え、実際の英語の"Realize"は「気づく」みたいなニュアンスで使われることがほとんどなので、そう考えると適切でないかもしれないけど。

誰か、いい言葉あったら教えてください。

まとめ

本っていいよね。

自分の中の世界(仮想世界)を広げるきっかけになるものだし、そこから現実世界が変わる可能性を秘めている。

本以外にも映画とか音楽とか写真とか、いくらでもきっかけになるものはあるけど、なんか今日は本について書きたい気分だったので、まぁ少なくともその想いは消化できたかなと思います。

なお、文章に変なところがあったなら、それは多分、pixiesとかいうその名の通りヘンテコなバンドをBGMにして書いていたからに他ならず、僕の文章力は関係ありません。

続き書こうと思ったけど、眠いのでもう寝ます。

(何かしらの反響があったら続き書きます。笑)


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