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場になる人、主役になる人、シンボルになる人。

「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」を読んでいる。

好きな人の本はスラスラと読める。
もしくはスラスラと読んでしまうぐらいフィットするものをつくる人だから好きになったのかもしれないな。


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この本の中にこんな一文があった。

企業や商品やサービスを、「わたし」というフィルターを通して代弁することが、コピーライターの仕事です。(中略) でも、フィルターである糸井重里という人間が、何かを訴えたいわけではない。だからぼくは、自分がマイクを持ってなにかを叫ぶよりも「場」や「ステージ」のような存在でありたいと、いつも思っているんです。

これを読んで

「う〜ん、僕は「場」になりたいわけじゃないなあ。」
「じゃあいったい何になりたいんだろう?」

と疑問が浮かんできた。

僕はフィルターになるのではなくて自分として強く存在していたい。
だからこそ「場」や「ステージ」である糸井さんのつくるものが心地いいのかもしれない。そこに立たせてもらえる気持ちになれるから。

じゃあ「マイクを持ってなにかを叫ぶ人」になりたいのかと考えたら
もちろんなりたいのだけど、なぜだかしっくりこなかったのである。


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糸井さんだけではなくて友達やしっている人に「場」になれる人がいて、会ったり配信やツイッターを見たりするたびに、周りの人が自然とあつまれる人っていいなあ。とうらやましくなる。

ぼくにはそんな人たちへの「あこがれ」があった。

主役でありたい性格が6.5。場でありたいあこがれが3.5。
ぐらいの割合でやりたい、なりたいが混ざっていた。

だからどちらにもしっくりこなかったし、ライブをするときや、ツイートをするときに気持ちの置き場がわからなくなることがあったことにも合点がいった。

そこで改めて考える。
「いったい何になりたいんだろう?」

出てきたワードは


「シンボル」


だった。

シンボル
象徴。表象。記号。

だれでもウェルカムとはいかないけど、これ面白い!と思う人が集まって鑑賞して楽しんだり、これいいよねと会話が生まれたりする「主役」でもあり「場」でもあるもの。そしてぼく自身は自由に形を変えていく。

ぼくはそういうものになりたかったのだ。


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誰かの人生観に触れると自分のセンサーがピクッと反応する瞬間がある。

「場」や「ステージ」のような存在でありたいと、いつも思っているんです。

この例え話ひとつがぼくの問題を解くヒントになった。
そんな瞬間をできるだけ見逃さないでいたい。


シンボルとは気づかれなければただのヘンテコなものだ。
気づいて、気に入ってくれた人がいてはじめて価値が生まれる。

そんな人に出会えるようにちゃんとそこに立って主張し続けていこうと思う。


あなたはどういう人になりたい?


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