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人を知ったつもりにならないこと

人と付き合っていくことはおでんに似ている。

少し前こんにゃくをほんだし醤油で煮込んで一味をかけて食べるのにはまっていた。そこで知ったのがちょっと煮込んだぐらいではこんにゃく自体に出汁の味は染み込まず味気ないということだ。

そういえばおでんを仕込むときは何時間も煮込むと言うし、東京の「お多幸本店」では70年以上出汁を継ぎ足し続けているらしい。

5分や10分の調理で思い描いた味が再現できるはずはなかったのだ。


昨日、ある要件を引き継ぐ場面があったのだけれど「前はこう言ってたけど今回の件は該当するのだろうか…」とその人の基準がどこからどこまでなのか迷ってしまった。結果的に僕の予測は外れてごめんなさいをすることになった。

誰かと関わる以上こういうことは避けられない。

自分にとってはなんともないことで相手が怒りはじめたり、逆にこちらが傷ついたり、勘違いでミスを引き起こしたりしたことが誰にでも一度ぐらいはあると思う。

そんな時こそ「おでん」の出番だ。

相手が出汁、僕がこんにゃく。味が染み込むには時間がかかる。お互いの基準を知るのには時間がかかる。


「基本的には全部報告してほしいタイプだけどこういう場合は勝手に進めても大丈夫。」みたいに微妙なニュアンスを察知するために出汁に飛び込んでいかないといけない。

話が合わないと気まずい。取り違えて何か言われるのが怖い。最初にそういうことがあるとつい遠ざけてしまいそうになるけど、そこをすり合わせる時間が単純に必要なだけだ。落ち込む必要はない。

「あなたの基準がまだ僕の中にないのですれ違ってしまいました。次からこうしてみます。」

そう言えればいいのだ。


僕は喋るのが下手くそでよく誤解されてしまう。でも「そういうつもりじゃないこと分かってるよ」って言ってくれる人がたくさんいる。

第一印象で僕を切り捨てないでいてくれたんだなと思うと改めてありがたく思う。

無理に全ての人と付き合う必要なんてないけど、初めから人を知ったつもりにならないことはとても大切なのだなあ。

[この記事の元になったツイート]


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後藤大
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